関ヶ原の残党、石田世一の文学館

アクセスカウンタ

zoom RSS 石田三成の実像49 「佐和山一夜城復元プロジェクト」9

<<   作成日時 : 2007/09/14 22:52   >>

ブログ気持玉 0 / トラックバック 1 / コメント 0

画像

 写真はやはり2日に彦根で撮ったもので、井伊直政がなくなった時に火葬にされ埋葬されたところです。井伊直政は「徳川四天王」の1人と言われていますが、そういう言い方は後世になってされたものだということを、小和田哲男氏が1日に行った講演会で述べておられました。井伊直政、本多忠勝、榊原康政の3将という言い方がもともとのものではないかということです。
 井伊直政は関ヶ原の戦いで敵中突破をした島津隊を追っている時に伏兵に狙撃され負傷します。直政はその傷がもとで、2年後になくなってしまうのです。井伊直政は、処刑された石田三成に代わって佐和山城に入りますが、この城でなくなった石田家の家臣たちや女性の怨霊に悩まされたと伝えられます。その話の一環として、清凉寺の七不思議というものがあるのです。しかし、井伊直政自身は、この地で善政を敷いていた石田三成の悪口を言うことを禁じ、領民の信頼を得たと言います。
 二代目の直継の時代になって佐和山城を壊し、新たに彦根城を築城するのですが、家康が近隣の大名に彦根城築城に力を貸すように命じました。佐和山城はことごとく破壊され、後に佐和山に入ること自体も禁じられ百数十年にわたって入山禁止が続きますが、それは井伊家が石田三成の威徳を消すためでした。
画像

 これは1日の夜のイベントが終わって会場を後にする時に、少し離れた位置から撮ったものです。
 ほんもののかつての佐和山城は山の上に建つ壮観な城でしたが、外観に比べて中は思いのほか質素でした。落城したあとの城に東軍が入って、あまりに粗末であり金銀のたくわえもなかったことに驚いたと言います。三成は豊臣政権の奉行として中心的な役割を果たしてきましたから、さぞや三成は金を持っているだろうと思っていたのです。三成は私腹を肥やすということをしなかったということがこの話でよく分かりますし、優秀な家臣たちを高禄で召抱え、家康と戦うべく私財をすべてなげうったのです。「もらった俸禄は全部使うのが奉公」というのが三成の考え方で、見事にそれを実践して散ったと言えます。今の政治家でそれを実践している人がどれぐらいいるでしょうか。

テーマ

関連テーマ 一覧


月別リンク

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!
ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。
→ログインへ

トラックバック(1件)

タイトル (本文) ブログ名/日時
大家族スペシャル 7男2女11人 石田家について
大家族スペシャルについていろいろ調べたい!大家族スペシャル 7男2女11人 石田家などの大家族スペシャル関連情報が知りたいという方へ。先日スペシャル番組で『7男2女11人大家族石田さんチのアツ~イ夏 』が放送されましたね。そこで「石田家 大家族」について話題にされているブログをご紹介します。家族みんなでハワイ旅行!石田家崩壊の危機を救えるか!?28日(金)放送の『7男2女一家11人の大家族アノ石田さんチ 今度はハワイ旅行で大騒ぎ!!』(日本テレビ系 午後7:00~8:54)は... ...続きを見る
大家族スペシャルfan 4男4女 ビッグ...
2007/09/29 01:35

トラックバック用URL help


自分のブログにトラックバック記事作成(会員用) help

タイトル
本 文

コメント(0件)

内 容 ニックネーム/日時

コメントする help

ニックネーム
URL(任意)
本 文
石田三成の実像49 「佐和山一夜城復元プロジェクト」9 関ヶ原の残党、石田世一の文学館/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる