関ヶ原の残党、石田世一の文学館

アクセスカウンタ

zoom RSS 大阪探訪95 夏の陣400年26 忍者ショー・大工頭中井家に豊臣時代の大坂城の絵図が残った理由

<<   作成日時 : 2015/05/21 11:03   >>

ブログ気持玉 0 / トラックバック 0 / コメント 0

大阪歴史
画像
  写真は大阪城の本丸広場の特設ステージで行われていた河内忍軍による「忍者ショー」を5月16日に撮ったものです。
 「大坂ノ陣合戦祭り」のイベントは朝から行われていましたが、自分がたどり着いた時(関西医大に通院した後、ハイハイタウンに出て「真田丸」の復元ジオラマを見、ミックスモダン焼きを食べていたため、1時頃になりました)には、このショーが始まったところでした。
 「大坂ノ陣合戦祭り」のイベントにマッチしたステージになっており、夏の陣図屏風の形をしたパネルも置かれていました。普通の刀が人を斬りやすいように反っているのに対して、忍者が使う刀はまっすぐであり、狭い所で突くようになっているとの説明もあり、鎖鎌などの武器を使った三人による殺陣がなかなか見ごたえがあり、白煙と効果音の演出も効いていました。ショーを見ている人の層もさまざまでしたが、特に子供たちによく受けていました。
 その後、休憩時間に入ったので、戦国関連グッズが販売されているブースを見て回ったり、本丸広場をぶらぶらしたりし、「さくらゆき」ショーを少し見た(石田三成祭の時にも見たことがあります)後、大阪城を後にし、「大阪くらしの今昔館」へ赴きました。
 その「大阪くらしの今昔館」の特別企画展「天下人の城大工 中井大和守の仕事V」には、前述したように豊臣時代 の大坂城の絵図が展示されていましたが、家康とつながりの深い中井家に豊臣時代の大坂城が残っていることについて、5月14日付の朝日新聞夕刊「大坂の陣400年 町と城、再発見」に次のように記されています。
 「徳川家康に取り立てられた中井正清の父・正吉は法隆寺の大工で、秀吉が京都に建立した方広寺の大仏殿建設に参加している。秀吉の大坂城建設にも関わっていたのでは」と。
 こう推測しているのは、谷直樹館長です。この記事には、特別企画展「天下人の城大工」についてだけでなく、大阪歴史博物館の、「天下の台所」として発展した大坂の姿を紹介した展覧会についても取り上げられています。 調査で発掘された桐の家紋入りの金箔瓦、大名屋敷や町屋から見つかった「唐津や美濃、備前など各地の窯で作られた茶碗や皿、向付(むこうづけ)など」が展示されています。また「秀吉が設計した城下町の形は、大坂の陣の戦災を経て、徳川幕府による再建後も基本的に継承されたことがわかった」とも記されています。
 現在の大阪の町も京都の町も基本的には秀吉が作ったと云えます。
 

テーマ

注目テーマ 一覧


月別リンク

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!
ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。
→ログインへ

トラックバック(0件)

タイトル (本文) ブログ名/日時

トラックバック用URL help


自分のブログにトラックバック記事作成(会員用) help

タイトル
本 文

コメント(0件)

内 容 ニックネーム/日時

コメントする help

ニックネーム
本 文
大阪探訪95 夏の陣400年26 忍者ショー・大工頭中井家に豊臣時代の大坂城の絵図が残った理由 関ヶ原の残党、石田世一の文学館/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる