関ヶ原の残党、石田世一の文学館

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zoom RSS 石田三成の実像1411 「お坊さんが選んだ本当にスゴイいと思う戦国武将」2 淀殿の念持仏・安国寺恵瓊

<<   作成日時 : 2015/06/10 10:47   >>

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 6月1日に放送された番組「お坊さんバラエティ」の「お坊さん56人が選んだ本当にスゴイいと思う戦国武将とそれにまつわるお寺ベスト15」の中で、石田三成と宗安寺が取り上げられていましたが、同じ宗安寺にある大坂城の仏間に祀られて、淀殿が拝んでいたといわれる阿弥陀如来立像にも触れられていました。
 番組では、淀殿について、「秀吉の側室である淀君」と説明されていましたが、淀殿は秀吉の側室でなく妻であったという福田千鶴氏の見解があり、今では少しずつながらその見解が受け入れられるようになってきているのではないでしょうか。
 それはともかく、曹洞宗の千葉公慈さんは、この仏像を見て「淀殿(番組では淀君)や秀吉公も拝んでいたのではないでしょうか」と言うと、宗安寺の竹内眞道住職は「そうなると思います」と答えていました。また千葉さんは「淀殿や秀吉公の気持ちが残っているような気がしますね」という感想も述べていました。
 番組では取り上げられていませんでしたが、この仏像を大坂城から運んだのは、井伊家の家臣である所藤内であることが、「仏像探訪 戦国武将が愛した伝説の仏像たち」(竢o版社)に記されています。
 番組では三成ゆかりのものと淀殿ゆかりのものが、同じ宗安寺にあることがなんの因果か、どういう縁なのかという語りが入っていました。確かに因縁めいてはいますが、彦根藩が三成の領地を与えられたことや、淀殿の念持仏を運んだのが彦根藩であったという説明があれば、視聴者もある程度納得するものがあったのではないでしょうか。宗安寺には、大坂夏の陣で活躍した木村重成の首塚もありますが、これも重成を討ち取った彦根藩士が手厚く葬ったものです。
 三成と同じく、関ヶ原の戦いの後処刑された安国寺恵瓊が第10位に選ばれているのが意外でしたが、お坊さんが選んだランキングですから、当然と云えば云えます。お坊さんから6万石の大名にまで上り詰めたところが人気の理由だと番組では説明されていました。安国寺恵瓊が住職をつとめていた広島の不動院が紹介され、そこには秀吉から1万1500石の領地を与えることを記した秀吉からの朱印状が残っており、朝鮮半島に出兵し、朝鮮から持ち帰った鐘も写されていました。秀吉のフィクサーとして活躍し、戦国随一の交渉人と呼ばれていることも述べられていました。
 もっとも、渡邊大門氏の「戦国の交渉人」(歴史新書y)には、恵瓊が6万石の大名になったということは根拠薄弱であり、1万1500石の件にしても、寺領として安国寺に与えられたものだと指摘されています。
 渡邊氏の同書では、朝鮮出兵で恵瓊が「現地において、軍事面のみならず築城などで貢献し」「言い尽くせない苦労をした」ことが記されています。

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