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zoom RSS 大阪探訪102  夏の陣33 「お坊さんが選んだ本当にスゴいと思う戦国武将」3 真田幸村の覚悟

<<   作成日時 : 2015/06/11 11:04   >>

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 写真は上本町のハイハイタウンに展示されていた真田幸村の巨大オブジェ(地階から三階まで貫いています)を5月5日に撮ったものです、幸村公戦没400年慰霊祭の後、一心寺、四天王寺、天鷲寺の柴田勝家とお市の供養塔などを回った後、訪れました。真田幸村のオブジェの前に忍者のオブジェが作られていますが、真田十勇士(後世の創作の産物ですが、人口には広く膾炙しています)の一人である猿飛佐助の姿です。天王寺真田幸村博の一環として大阪成蹊大学芸術学部によって制作されました。
 さて、6月1日に放送された「お坊さんバラエティ」の「お坊さん56人が選んだ本当にスゴいと思う戦国武将とそれにまつわるお寺ベスト15」の中で、真田幸村が第9位にランクインしていました。もう少し高いのではないかと思っていましたが、お坊さんの視点ですから、やむをえないところかもしれません。
 幸村の念持仏として、京都の高松神明神社に祀られている「真田地蔵」が取り上げられていました。この仏像については拙ブログ記事で以前取り上げました。
 高野山真言宗の松島龍戒さんが、幸村は三成と同じように、お地蔵さんを非常に信仰していたと語り、その理由としてお地蔵さんは地獄の守り本尊であり、武士はいつなんどきどんな目に遭うになったかわからない、生前の所業からどんな地獄に落ちるかわからないという覚悟をしており、自分がどうなっても仏さんの力、信仰の力で救っていただけると思っていたからだと述べられていました。
 また高野山真言宗の東賢性(けんしょう)さんは、幸村が武将として出発した時から、自分は地獄しか行くところはない、だから地蔵さんに最後救ってほしいという覚悟を常に言っていたが、幸村終焉の地を訪れて安居神社の宮司さんの話を聴き、幸村が最後に言った言葉に死の覚悟があったのだという思いを感じることができたと語っていました。幸村の最後に発した言葉とは、動けずにいた幸村が敵に向かって、「かまわん。手柄にするがよい」と言ったと紹介されていました。
 もっとも、一次史料から幸村が最期にこう言ったのかどうかは裏付けられません。幸村を討ち取ったのは、松平隊の西尾仁左衛門ですが、橋場日月氏の「知れば知るほど面白い人物歴史丸ごとガイド 真田幸村」(学研)には、西尾は「家康に最期の様子を尋ねられて『互いに死力を尽くして戦い、ついに自分が勝った』と言上すると、家康は『左衛門佐程なる士(さむらい)、西尾体(程度)の者を相手にし働くべき様はなし』【幸村君伝記】と」言い、「西尾の誇大宣伝を看破し」たなどと記されていることが取り上げられています。また幸村の最期の様子について、橋場氏の同書には、「疲労困憊していた」ことを示す「手負ひ候て草臥(くたび)れ伏して居られ候」という「細川忠興書状」の記述も紹介されています。


 

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