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zoom RSS 大阪探訪105夏の陣36 「お坊さんが選んだ本当にスゴいと思う戦国武将」4 さなだ松・真田の抜け穴

<<   作成日時 : 2015/06/19 10:29   >>

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 写真は安居神社のさなだ松を、真田幸村公戦没400年慰霊祭が行われた5月5日に撮ったものです。 「お坊さんが選んだ本当にスゴいと思う戦国武将15 」で真田幸村(信繁)が第9位にランクインしていることは拙ブログ記事でも取り上げましたが、安居神社の宮司さんが、幸村はこの松のそばで休んでいたところを討ち取られたと説明していました。むろん、このあたりは伝承に基づくもので、本当のところはどうかはわかりませんが。
 安居神社の幸村の銅像は、幸村が戦い疲れて休んでいるところをイメージして作られたということも番組では紹介されていました。
 番組では、次に三光神社に回り、いわゆる「真田の抜け穴」が紹介され、実際中に入って数メートル先で行き止まりになっていることが紹介されていました。
 この抜け穴について、三光神社の宮司さんは大坂城との連絡に使っていたというふうに述べられていました。しかし、これについては、前にも拙ブログ記事で記したように、橋場日月氏の「知れば知るほど面白い人物歴史丸ごとガイド 真田幸村」には、大坂城周辺にあった数々の抜け穴は「徳川方が大坂城に向けて掘った穴の跡と思われ」、三光神社の「真田の抜け穴」についても「冬の陣では前田家の陣があった場所であり、幕府軍は諸方から『金掘り人夫』(甲斐で金山を採掘する技術を持った者たち)を使って穴を掘り進め、石垣を崩したり、城の地下で爆薬を爆破して城を粉砕する、などと宣伝して豊臣方の士気を阻喪させようとしたものが、戦後いつしか幸村の秘密通路とされてしまったものであろう」と指摘されています。
 もっとも、これも拙ブログ記事でも取り上げたように、最新の研究成果によって真田丸は守りの城ではなく攻めるための砦であり、従来の通説よりもっと広かったという千田尋博氏の見解が新たに示され、その見解によると三光神社も真田丸の敷地内です。そうなれば、三光神社の「真田の抜け穴」についても、真田側が作った可能性もあることになります。むろん、「真田の抜け穴」自体が、本当に「抜け穴」であるのかという根本的な疑問はありますが。
 番組では河合敦氏も出演していましたが、幸村のスゴイ点として、老人(49歳で当時は「おじいちゃん」であったと説明していました)で病身でありながら、夏の陣で家康を窮地に追い込んだことを挙げていました。老人で病身ということについては、そういう手紙があることに河合氏はちらっと触れていましたが、その幸村の手紙は慶長20年(1615) 2月8日付のものであり、その中に「我々なども去年より俄(にわか)に年寄り、ことのほかの病者に成り申し候」などという記術があります。

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