関ヶ原の残党、石田世一の文学館

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zoom RSS 石田三成の実像1408 「大関ヶ原展」のHPの合戦の経緯説明の疑問点 秀秋の三成への恨み?

<<   作成日時 : 2015/06/03 11:16   >>

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 昨日から京都文化博物館で「大関ヶ原展」が始まりました。私は講演会がある7月4日に見に行く予定です。昨日の新聞朝刊に「大関ヶ原展」の広告が掲載されていますが、龍潭寺蔵の石田三成画像、知恩院蔵の徳川家康座像、肩衝茶入として名高い「初花」、豊国神社蔵の名刀「骨喰藤四郎」、大阪城天守閣蔵の「関ケ原合戦図屏風」が載っています。展示の入れ替えがあるので、このうち「初花」「骨喰藤四郎」「関ケ原合戦図屏風」(後期はは別の「関ケ原合戦図屏風」を展示)は残念ながら見ることができません。二回足を運べば別ですが。
 「大関ヶ原展」のホームページを見ていたら、関ヶ原の戦いの経緯について、問題を感じる箇所がありました。家康が三成たち西軍を関ヶ原におびき出したとか、合戦の当日、家康が松尾山に鉄砲を撃ちかけさせて、小早川秀秋に裏切りを促したとかいう、通説は取り上げられておらず、その点は評価できます。しかし、秀秋が寝返ったことについて、「徳川方からの調略の結果か、石田三成への私怨(三成の報告により、大幅な減封を受けた)か、味方であるはずの大谷隊に軍勢を向けたのだ」と記されています。
 この説明で問題なのは、「石田三成への私怨(三成の報告により、大幅な減封を受けた)」というところであり、三成が讒言して、小早川秀秋が減転封になったことが事実であるかのような描き方がされています。この件については三成は冤罪であるということが、白川亨氏の「石田三成の生涯」(新人物往来社)や中井俊一郎氏の「石田三成からの手紙」(サンライズ出版)で指摘されています(拙ブログ記事で以前取り上げました)。
 三成は秀吉から小早川秀秋の領地を与えようとの内意を得ていましたが、三成はその加増を断り秀吉のそばにいる道を選びました。このこと、及びこの後に三成が秀秋の領地であった筑前・筑後の代官に任じられたことが、三成の冤罪を生むきっかけになったのかもしれません。
 「徳川方からの調略」という点については、武将の説明の中で、黒田長政が小早川秀秋を調略したことが記されており、一方、小早川秀秋の方は「黒田長政・浅野幸長の説得を受けるなど、徳川方とも通じ、関ヶ原では戦いの半ばで西軍から離反し、合戦の行方を決定づけた」と記されています。
 この中で、「関ヶ原では戦いの半ばで西軍から離反し」とありますが、すでに秀秋が西軍の伊藤盛正を追い出して勝手に松尾山に陣取った時点で、東軍側に付くという意思を示したのではないでしょうか。総大将である毛利輝元に松尾山に入ってもらおうと思っていた三成ら西軍にとって、動きの怪しい秀秋に入られたことで、西軍は危機感を強め、秀秋の動きを牽制するために関ヶ原に移動しました。こういう見解は、オンライン三成会編「三成伝説」や中井俊一郎氏の「石田三成からの手紙」(ともにサンライズ出版)に記されていますし、家康の侍医が記した「板坂ト斎 慶長記」でも秀秋が謀反したから西軍が関ケ原に移動したとの記述があります(桐野作人氏の講演会でもこの史料が取り上げられていました)。
  

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コメント(2件)

内 容 ニックネーム/日時
こんばんわ!
福岡でも8月から大関ヶ原展が始まりますが、福岡市博物館が作ったチラシでは、タイトルの大関ヶ原展の横に、家康を勝利に導いた長政と大きく表示され、確か…長政の甲冑の写真が大きく印刷されてましたヌ
福岡で開催される大関ヶ原なんで福岡市博物館が黒田長政を大プッシュするのは分からないではないですが…黒田の活躍を中心とした関ヶ原展ではないので、何だかなあ…とため息をついてしまいました。
負けた側にも公平な扱いをするのが博物館の仕事の一部かなあとは思いますけど、軍師官兵衛同様どうしょうもないのでしょうね…黒田以前に福岡は三成に深い関わりのある土地なんですけどね…

2015/06/05 02:14
 牧さん、コメントありがとうございます。
 確かに福岡での展示もあまり期待できないかもしれませんね。なにしろ家康没後400年記念のイベントですから。大関ヶ原展の展示は大半が勝者側に残った(敗者からの分捕り品も含めて)ものですから、どうしても家康寄りの見方になってしまうでしょうね。
 福岡展においては、三成と福岡との関係を示すような史料も是非とも展示してほしいところですが。博物館の人も三成が福岡に大きく貢献したことをしかと認識してほしいものです。実際、認識は持っておられるのかもしれませんが。
 京都展の内容がどのようなものか、どういうふうに展示されているか、どういう見方が示されているか、また拙ブログで報告したいと思います。
石田世一
2015/06/07 22:39

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