関ヶ原の残党、石田世一の文学館

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zoom RSS 石田三成の実像1426 橋本章氏の講演会4「石田治部少輔出生地」碑の文面・三成復権の背景

<<   作成日時 : 2015/07/11 11:52   >>

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写真は「石田治部少輔出生地」碑を昨年の三成祭の時に撮ったものです。橋下章氏の講演会 「石田三成の世評と語られる関ヶ原の戦い」では、昭和17年に石田三成公事績顕彰会によってこの碑が建てられたと述べられ、その裏面に書かれている 渡辺世祐氏による文面が史料として紹介されています。私は裏面に回ったことはないのですが、草が茂って読みにくかったそうです。
 その文面によると、江戸時代は三成は「奸邪」として貶められ「小人」として見なされてきたが、実際は「旧恩」を思い「主家に報いるに勇」であり、「為政者としても亦高邁なる識見を有し治績大いに見るべきものあり」(原文ではひらがなの部分はカタカナ)と。
 拙ブログ記事で前述したように、渡辺世祐氏の「稿本石田三成」の発行(明治40年)が、三成の復権に大きな影響を与えましたが、この点について、講演会では「渡辺は、石田三成に関する史料の分析を通じて三成の実像に迫り、三成の事績を歴史的に検証する先鞭を為した」と指摘されています。
 この本に、実業家の朝吹英二氏が序文を書いていますが、講演会ではその序文も史料としてレジュメに掲載されています。その序文で「三成は、其人となり、才智に富み、其志忠誠なり。(中略)後世の史家、多くは徳川氏に対し、家康を尊崇するの道唯一意三成を貶するにありとなし、毒筆到らざるなく、悪言及ばざるなきを恐るるものの如し」などと記され、三成の復権を図っています。 朝吹氏については講演会のレジュメには、「青年期には尊王攘夷運動にかぶれ、洋学を志向する福沢諭吉の暗殺を企んだこともある人物」として紹介されています。
 水戸光圀が三成を評価していることと明治になっての三成の復権とのつながりについては、講演会のレジュメに次のように記されています。
 「光圀の三成への評価は、『名将言行録』への記載のほか、水戸学の伝搬と尊王攘夷運動の広がるあたりからやがて西郷隆盛や徳富蘇峰らの知るところとなり、あるいは朝吹英二に影響を与え、その情熱は石田三成復権への動きに転化されていった」と。 
 尊王攘夷運動と三成の復権とは反徳川ということで結びついていることがわかります。むろん、「尊王攘夷運動」や「天運循環」は、三成の与り知らぬことであり、こういうことについて杏奈さんの拙ブログへのコメントに次のようなことが記されていますので、改めて紹介します。「歴史上の人物や出来事は、その時代によって都合よく解釈され、上げられたり下げられたりするので、それに惑わされると本質を見誤ってしまうので注意が必要だなと思います」と。確かにその通りだと自分も考えさせられるところが大いにありました。

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コメント(2件)

内 容 ニックネーム/日時
昨夜のBSの関ヶ原談義、ご覧になりましたか?
どちらかというと三成様寄りというか…
江戸時代の礎は三成が築いたのですね…という意味では家康は石田三成に感謝しているとも述べられていました。私にとってとても心地良い2時間でした。
tokebi
2015/07/11 22:01
 tokebi さん、貴重な情報ありがとうございます。
 残念ながら、BSは受信できないので見ていませんが、三成が割と正当に評価されていたようですね。地上波でも放送されることを願っています。
 江戸時代の礎は三成たちが築いたという視点は、とかく忘れられがちですね。謀反人、陰謀家という汚名だけ着せられて、気の毒というしかありません。
石田世一
2015/07/11 23:23

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