関ヶ原の残党、石田世一の文学館

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zoom RSS 石田三成の実像1428 橋本章氏の講演会6 関ヶ原の戦いで北政所は中立だったという見方

<<   作成日時 : 2015/07/13 10:37   >>

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 橋本章氏の講演会「石田三成の世評と語られる関ヶ原」では、関ヶ原の戦いにおける北政所の姿勢について、中立的な立場だったという見解が示されていました。その根拠として、慶長5年7月17日付で出された、家康弾劾状である「内府ちかひの条々」の中で、家康が北政所を大坂城西の丸から追い出したことを西軍が糾弾しているのに対して、東軍である浅野幸長・黒田長政が小早川秀秋に宛てた同年8月28日付の連署状の中で、北政所様のために味方してほしいと言っており、両軍共北政所を引き合いに出している点が挙げられていました。
 北政所は両軍から名前を持ち出される程特別な地位にあり、関ヶ原の戦いでは中立であったという見方は矢部健太郎氏の「関ヶ原の戦いと石田三成」(吉川弘文館)でも示されています。すなわち、「秀吉亡き後も、北政所の存在そのものに絶大な『求心力』があったということを意味している。さらに重要なのは、当の本人がいずれの勢力に対しても積極的な働きかけをせず、京で一人静かに夫の菩提を弔っていたということであろう」と。
 従来は北政所は家康寄りであり、秀吉亡き後の天下を家康に託していたというような捉え方がされてきており、今もそういう描き方をするドラマや小説が後を絶ちませんが、これも天下は譲り受けたものだ正当化する徳川史観に基づくもので、そういう見方に対する反論がいろいろなされています。
 全く真逆の見解を示されたのが白川亨氏であり、三成に反家康の決起を促したのは北政所という見解を示されています。ここまで言えるかどうかについては、今後検証すべき課題だと思われます。
 関ヶ原の戦いで、北政所と淀殿が連携して大津城の開城交渉に当たっていることを指摘されたのは跡部信氏であり、福田千鶴氏もその見解に同意されています。
 矢部氏の同書でも、北政所と淀殿との間には対立があったという、これもドラマや小説でよく描かれるような見方に対しては、疑問が出されています。すなわち、北政所に対して淀殿が敵意を持ったということに関して、「その理由や根拠を示すことは、現時点では困難である」と。
 北政所と淀殿の間に対立があったこと、北政所は家康に味方しており、小早川秀秋にも家康に味方するように勧めたというような見方は、徳川家に都合の良い歴史観であり、その虚構性については、最近の研究で徐々に明らかになって来ています。さらなる研究ムに期待したいと思います。それが三成の実像を明らかにすることにもつながるわけですから。

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コメント(2件)

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この前のBSで司会の方が石田三成のことをもっともっと知りたくなったと言っていました。そして関ヶ原の最大の功労者は石田三成だとも…
400年以上経っても人びとを魅了する深い方ですね三成様は!
tokebi
2015/07/13 21:41
 tokebi さん、いつもコメントありがとうございます。
 「関ヶ原の最大の功労者は石田三成」と云う見方、大いに気に入りました。そういうプラスの評価がもっと広がることを期待しています。
 来年の大河ドラマには、西軍の武将が続々登場して来て、楽しめそうです。三成役が誰になるか大いに興味が持たれます。むろん、三成や関ヶ原の描き方も気になるところですが。
 今後ともよろしくお願いいたします。
石田世一
2015/07/17 14:25

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