関ヶ原の残党、石田世一の文学館

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zoom RSS 京都探訪242 夏の陣400年41 有鄰館の「霊鷹図」に家康の賛・大坂の陣へ向かう途中のもの

<<   作成日時 : 2015/07/26 10:55   >>

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  写真は有鄰館(ゆうりんかん)の入口(門)を7月14日の午前に撮ったものです。京の夏の旅特集で特別公開中なので、家人と見に行きました。内部は撮影禁止になっていました。 有鄰館は金沢の横山邸(加賀藩の元家老)の一部を昭和3年に移築したもので、アール・ヌーヴォー様式の装飾で飾られた洋館です。犬養毅首相が昭和天皇の御大典の際にはこの洋館に滞在したこともあって、犬養ゆかりのものが多く展示されていました。他にも円山応挙の「松鶴図」、頼山陽、西郷隆盛、伊藤博文、乃木希典の書など有名人のものも所狭しと並んで陳列されていました。
 その中に、吉長が描いた「霊鷹図」があり、徳川家康が「限りなき野山に心配(こころくば)り行(いき) 鷹も枯木に夢給(たま)ふらむ」という賛を書いています。こういうところに、家康及び大坂の陣関連のものがあることに、ちょっとした驚きを覚えました。有鄰館でもらったチラシには、その図の解説として次のようなことが記されています。
 「慶長19年(1614)冬、豊臣家対徳川家の『大坂冬の陣』が起こる。『仲冬』は11月であるが、11月19日には木津川の戦いがあり、家康は11月15日に二条城を出立し、大和国(奈良)経由で大阪に向かっている。18日は茶臼山城にて軍議を開いているので、それ以前に書かれたと思われる。家康の豊臣家を滅ぼして天下を統一しようとする夢がうかがえる賛である。吉長は、鷹を得意とする大名で画家でもある」と。
 もっとも、この解説文のうち、家康が茶臼山に陣を移したのは12月6日であることが、相田文三氏の「徳川家康の居所と行動(天正10年6月2日以降)」【藤田讓治氏『織豊期主要人物居所集成』[思文閣出版]所載】に記されています。この前後の家康の動きについて相田氏の同書は次のように記されています。
 「9月25日には大坂に戻った(片桐)且元より、淀の怒りを買って討たれるかという状況であるとの報が届き、10月1日には大坂攻めの意向を表明した。11日、駿府を発した家康は、23日に上洛して二条城に入り、28日には勅使を迎えた。(中略)15日に二条城から出陣し、17日住吉に着陣した。29日には陣中見舞いの勅使を迎え」たなどと。
 家康が大坂の陣に向けての「高揚感」を示すものとして、本多隆成氏の「定本 徳川家康」(吉川弘文館)には、藤堂高虎宛の本多正純書状が取り上げられています。すなわち、「大御所様、今度の仕合をお聞き成され、大方もなく御わかやぎ候間、御満足たるべく候」と。
 「霊鷹図」の賛との共通点がうかがえる気がします。もっとも、どういう経由で「霊鷹図」が横山家にもたらされたのかまでは把握していませんが。
 
  

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