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zoom RSS 京都探訪246 山田邦和氏の講演「平安京の都市とくらし」1 教科書の平安京の図は虚構・時代により変遷

<<   作成日時 : 2015/08/03 11:10   >>

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写真は昨日、花園大学で行われた山田邦和氏の講演会「平安京の都市とくらし」の開始直前の会場の様子を撮ったものです。「京都学講座」の一環として行われたもので、昨日は山田氏の講演の後、明珍健二氏とプロジェクトチームによる「京町家 梅忠町を復元する」という題の発表があり、両方とも意義深い内容の話でした。
 後者は、古文書などを手掛かりに禁門の変の前の「梅忠町」の当時の28軒の町屋を3DCG再現するというもので、まだ完成途中ですが、どういうふうにして復元してゆくのかその手法、その過程での苦心談、これから改善すべき点など具体的な話があり、なかなか大変な時間を要する研究だと思いました(詳細については後述)。
 「京都時代MAP 安土桃山編」(光村推古書院)の中で、山田氏が制作した「戦国期京都市街地復元図」と「第3期伏見城(豊臣期木幡山城)城下町推定復元図」が使用されており、私はこの本を携帯して京都や伏見をたびたび歩き回っていますから、間接的に山田氏のお世話になっている形であり、一度山田氏の講演を聴いてみようと思っていました。
 今回のテーマは平安京ですから、戦国期とは直接関係ない講演の内容だったのですが、秀吉のことも少し触れられていました。最後の方で墓や死者の話になった時に、それまで京の郊外にだけ墓があったのに、秀吉が寺を集めて寺町を作ったので、墓もそれに付随して京の中に移転してきたと話されていました。
 山田氏は現在は同志社女子大教授ですが、以前は花園大学教授であり、会場の無聖館5階ホールで講演をするのに緊張感を覚えると最初に述べておられました。「京都時代MAP」も、花園大学教授の時の仕事です。 花園大学は平安京の中にある唯一の大学だということも強調されていましたが、確かに他の大学はいずれもかつて平安京があったところからは外れたところに作られています。
 平安京は日本史などの教科書には、大内裏を北の中心として、町並みが碁盤の目のように整然としたさまで広がっている様子が描かれていますが、実際、そのような完璧な平安京の姿は現実にはありえなかったと最初に指摘し、その上で、平安京の姿を前期、中期、後期でどう変遷しているのか、スクリーンの図(レジュメにも載っています)で説明されていました。貴族の屋敷があったところは黒色で、庶民などが住んでいたところは灰色で塗りつぶされていましたが、前期平安京の時は右京の端のあたりは池などがまた残っており、まだ町は形成されていなかったこと、中期(摂関政治全盛期)になると右京に人々は住んでいたものの、貴族の屋敷は左京の北半分に集中し、繁栄していたこと、後期(院政期)になると右京はぼろぼろな状態になったのに対して、左京は栄え、さらに鴨川を越えた東側の部分(本来は平安京の外側)にまで広がっていたことを明らかにされていました。

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