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zoom RSS 石田三成の実像1466 旅行記39 名護屋・福岡旅行 1 名護屋城博物館・名護屋城跡・伝 三成陣跡

<<   作成日時 : 2015/09/23 16:11   >>

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写真は名護屋城の天守跡から壱岐対馬方面を9月20日に撮ったものです。島々の間の沖合に壱岐の姿は見えましたが、対馬の姿は肉眼では確認できませんでした。今から400年以上前、この港から秀吉軍(秀吉自身は渡海しませんでした)が朝鮮半島に攻め入ったことが信じられないほど、周囲は穏やかで静寂な雰囲気に包まれていました。無謀なことをしたものだという思いも改めて持ちました。
 三成が朝鮮出兵反対派であり、実際奉行として渡海することを秀吉に命じられて、朝鮮半島に渡り、この無茶の戦いの様子をつぶさに見てから、一刻も早く和平を整えようとしたことについては、オンライン三成会編「三成伝説」(サンライズ出版)及び中井俊一郎氏の「石田三成からの手紙」(サンライズ出版)の中で詳しく論じられています。
 そのオンライン三成会の有志の人々と、シルバーウィークを利用して、19日から22日まで名護屋及び福岡まで行って来ました。名護屋は今まで行きたいと思いながら、一度も行けませんでしたが、今回は名護屋城や各武将の陣跡に詳しい人と一緒に訪ねることによって、いろいろなことを教えてもらい、学んだことが多々ありました。
 19日、唐津駅の隣の和多田駅のホテルに着いたのは、夜中の11時半でした。この日は住吉高校音楽者連盟主催のコンサートが阿倍野区民ホールで夕方から開かれ、クラス担任をしていた田崎公嗣氏のピアノ演奏などがあり、毎回欠かさず聴きに行っていますので(今年で6回目です)、今年も招待を受けており、それに出席してからの唐津行きになりました。本当は夜までコンサートがあったのですが、前半だけ聴いて、途中休憩と共に、会場を後にして新大阪に急いで向かいました。幸い、田崎氏の演奏はトップでしたので、ゆっくり聴けましたが、後半に出演する人々の演奏が聴けなかったのは、仕方ないとは云え、残念でした(今までは最後まで聴いて田崎氏にも挨拶して礼を言って帰るのですが、今回はそれができませんでした)。博多までの新幹線は一ヶ月前に予約していました。博多で地下鉄空港線・JR筑肥線に乗り換えて現地入りしました。
 20日は9時半に唐津駅で待ち合わせ、5人でレンタカーに乗り、名護屋城博物館に向かいました。博物館で別のレンタカーで来た二人と合流しました。そばのレストランで昼食を取った後、地元に住むKさんの案内で名護屋城跡を1時間半ほどかけて回り、そのあと野元の伝・三成陣跡とされる場所に向かいました。以前訪ねた人もあり、「三成伝説」にもその陣跡の写真が載っているのですが、以前のルートはなくなっており、別のところからぐるりと回りました。名護屋城からはかなり離れており、現地は林の中でしたが、三成の陣跡については、中井氏が陣替があったのではないかと、「三成伝説」の「肥前・名護屋」の章の中で論じられており、それを証拠づける新たな史料が、博物館で買い求めた図録「肥前名護屋城と『天下人』秀吉の城」に掲載されていました。これについては改めて述べます。
 さらにこの後、生駒親正、佐竹義宣、上杉景勝の各陣跡を回りました。

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