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zoom RSS 京都探訪255 旅行記35  天橋立旅行5 宮津の細川ガラシャ像・宮津城の復元城壁・歴代藩主

<<   作成日時 : 2015/09/07 10:29   >>

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写真は宮津にある細川ガラシャ像を8月26日に撮ったものです。天橋立を散策した後、電車で宮津駅に戻りましたが、送迎バスの時間まで一時間近くあったので、家族を待合室に残し、一人宮津市内を2、30分ぶらぶらと廻ってみました。次の日に帰りの特急の時間まで3時間ほど待ち時間があるので、その下見を兼ねて商店街から細川ガラシャ銅像付近まで行ってみました。次の日は昼食を取らねばならないので、飲食店を探す意味もありました。
 細川ガラシャ銅像は市役所のそばに建っており、銅像の後ろに写っているのはカトリック宮津教会です。天正8年(1580)に細川藤孝が丹後を領有し、宮津城を築きましたが、一度消失しました。その後、丹波を領有した京極氏によって再建されましたが、現在は残っていません。城下町の町筋はそのまま残っており、太鼓門は宮津小学校の正門として使われていますが。
 細川ガラシャが忠興に嫁いだのは、天正6年のことですが、天正10年の本能寺の変の後、父の明智光秀が謀叛人扱いされたことによって、忠興によって味土野に幽閉されました。幽閉が解かれて、細川家の大坂屋敷に移されたのが天正12年3月のことですから、細川ガラシャが宮津にいたのはわずかな期間ということになります。
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 写真は大手橋から南を向いて撮ったものです。大手川の右側(西側)に見えているのが市役所であり、その南側にある公園に細川ギリシャ像が建っています。左側(東側)に写っているのが、復元された宮津城の城壁です、復元城壁は向こうの方に見えている中橋まで続いています。そのさらに南に太鼓門があります。
 宮津城の大手門があったのは、大手橋のすぐそば(北東部分)であり、写真を撮っている場所の後ろに当たります。この日は時間の関係で、復元城壁や中橋あたりには行きませんでしたが、翌日、そのあたりはゆっくり回りました。
 翌日に訪ねた宮津の大頂寺に、土方了哉住職が作成した「丹後国主歴代宮津藩主の歴史」資料が置いてあり、一部いただきました。それによると、「細川藤孝(幽斎) ふじたか」→「細川忠興 ただおき(九州中津へ)」→「京極高知 たかとも(飯田より)」→「京極高広 たかひろ」→「京極高国 たかくに(改易)」→「永井尚征 なおゆき(淀より)」→「永井尚長 なおなが(改易)」→「安部正邦 まさくに(岩国より)」→「奥平昌春 まさはる(宇都宮より)」→「青山幸侶 ゆきとも(飯田より)」→「青山幸道 ゆきみち」→「本庄資昌 すけまさ」と目まぐるしく変わっていますが、それ以降は明治まで代々本庄家が藩主でした。

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