関ヶ原の残党、石田世一の文学館

アクセスカウンタ

zoom RSS 石田三成の実像1482 醒ケ井駅から松尾寺まで散策・正継が教養人だったことを示す書状

<<   作成日時 : 2015/10/10 11:00   >>

なるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 1 / トラックバック 0 / コメント 0

 
画像
 写真は醒ケ井の松尾寺を先週の今日、10月3日に撮ったものです。この日は彦根に着いたのは、昼前だったので、ホテルに荷物を預けた後、電車で醒ケ井まで行き、駅前で昼食を取ってから、松尾寺まで歩いて往復しました。バスは一時間に一本ぐらいしかなく、時間が合いませんでしたし、ハイキングがてら歩いてみるのも一興だと思いました。
 醒ケ井駅前にも、11月の三成祭のポスターが貼ってありましたが、米原市も「三成会議」の参加団体の1つであり、ここもかつては三成の所領だったので、貼ってあるのも当然と云えば云えます。
 松尾寺は三成の父である正継が庇護した寺であり、正継の発した書状が残っています。丹生川のせせらぎに添って行くのは風情がありましたが、山手に入るまでは強い日差しが照り付け、木陰もなく、暑いほどでした。山手に入ると、木々が茂っているので、日差しを防ぎ、一度に涼しくなりました。もっとも上り坂でしたが。
 十分程登ってゆくと、醒ケ井養鱒場があり、さらにその横の道を登ってゆくと、霊仙三蔵堂、松尾寺に行きつけます。もっとも、松尾寺の本堂は改築中でした。さらに松尾山の上の方まで行きかけましたが、かなり時間がかかりそうだったので、途中で引き返しました。道は山頂まで続いており、ハイキングコースにもなっていました。昔、松尾寺はもっと山の上の方にあり、松尾寺跡が残っているようです。
 醒ケ井養鱒場そばの松尾寺の説明掲示板には、松尾寺が浅井亮政や石田正継の庇護を受けたということが記されていました。
 帰りは下丹生古墳にも立ち寄っていたので、二時間半余りのハイキングになりました。
 正継の書状は、松尾寺から60巻の書物を借用して、返却した内容のものであり、正継の学問好きがよくうかがえます。学問好きということに関して、長浜城歴史博物館発行の図録「没後四百年特別展覧会 石田三成」の「石田正継像」の解説文に次のようなことが記されています。
 「文禄3年10月附の伯浦和尚の賛があり、生前に書かれた寿像である。かなりの教養人であったことがわかっており、賛にも才知は文武両道、心は聖賢に通ずるとあり、このことを裏附けている」などと。
 この肖像画は妙心寺寿聖院の所蔵ですが、土佐光吉によって描かれたものであり、土佐派は堺で活躍したこともその解説文には書かれています。土佐光吉と正継との関係については、同解説文には、次のように記されています。
 「三成が、天正14年6月から堺奉行(政所)となり、16年からは兄・正澄が奉行を引き継ぐ。正継も堺代官を務めていた関係でこの肖像画が描かれたものであろう」と。

テーマ

関連テーマ 一覧


月別リンク

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!
ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。
→ログインへ
気持玉数 : 1
なるほど(納得、参考になった、ヘー)

トラックバック(0件)

タイトル (本文) ブログ名/日時

トラックバック用URL help


自分のブログにトラックバック記事作成(会員用) help

タイトル
本 文

コメント(0件)

内 容 ニックネーム/日時

コメントする help

ニックネーム
本 文
石田三成の実像1482 醒ケ井駅から松尾寺まで散策・正継が教養人だったことを示す書状 関ヶ原の残党、石田世一の文学館/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる