関ヶ原の残党、石田世一の文学館

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zoom RSS 石田三成の実像1486  京都探訪261 仙洞御所参観3 大宮御所御車寄・慶長3年の秀頼の昇進

<<   作成日時 : 2015/10/14 11:00   >>

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 写真は大宮御所御車寄を10月8日に撮ったものです。仙洞御所の入口は北側の大宮御所の方にあり、仙洞御所の参観は、まずこの御車寄を外観することから始まりました。参観時間の20分前から受付が始まり、休憩所で待つことになります。参加の10分前には、仙洞御所の紹介ビデオが写され、御所内の参観コースに従った、それぞれのスポットの映像及び説明があり、大体の参観の流れがつかめます。
 仙洞御所のパンフレットには、この御車寄について、「大宮御所の玄関であり、現在も天皇皇后両陛下や皇太子同妃両殿下が入洛された際に使用されている」と記されています。
 「入洛」とは、「日本国語大辞典」(小学館)には、「都に入ること。特に、身分の高い人が都にはいることをいう」と記されていますが、今は京都に来ることを言います。現在は東京へ行くことを「上京」と云いますが、関西の人間にとっては抵抗を覚える人が少なくありません。東京への「遷都宣言」はされないままですから、正式には京都が都のままといっても間違いではありません。天皇は一時的に東京に行っているだけだという意識が、今でも関西では根強くあり、私も「上京」という言葉は使わず、「東京へ行く」と言うようにしています。
 さて、仙洞御所は秀吉の「京都新城」があったところですが、昨日の拙ブログ記事で記したように、中村武生氏監修の「中村武生とあるく洛中洛外」(京都新聞出版センター)の「御苑内にあった『京都新城』ー北政所の最期の地」で、秀頼がこの城に入ったのは、「禁裏での元服と昇進の時」ぐらいでした。
 「禁裏での元服」についても昨日触れましたが、「昇進の時」については、福田千鶴氏の「豊臣秀頼」(吉川弘文館)に次のようなことが記されています。
 「慶長3年4月18日は、3度目の参内となった。(中略)20日に禁中で陣儀(じんのぎ)があり、秀頼は正式に中納言に任じられた。4月22日には、来る24日に京都屋敷で秀頼昇進の礼がある旨が触れられ、同日公家・門跡・寺社が礼に出向いた。申次(もうしつぎ)は池田輝政と別に一人がおり(名は不詳)、進物を申次に取り渡す役は徳善院(前田玄以)であった」などと。
 秀頼の最初の参内は慶長元年(1596)5月13日のことであり、この時はまだ「京都新城」は出来上がっていませんでした。これも前述したように、福田氏の同書では、「京都新城」という言い方の代わりに、「京都屋敷」という表現がされています。
 慶長3年の秀頼の参内の時には、三成は京にはいませんでした。会津に行って直江兼続と上杉氏の転封の仕事に携わっていました。三成が佐和山に戻ってきたのは5月3日、入京した日は5日のようです(中野等氏の「石田三成の居所と行動」)。

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