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zoom RSS 石田三成の実像1508「三成祭」4 小野善生氏の講演2 三成の功を奏したフォロワーシップ 諜報・兵站

<<   作成日時 : 2015/11/11 11:57   >>

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 11月1日、長浜市石田町で行われた「三成祭」の際の小野善生氏の講演会「石田三成公に学ぶリーダーシップ・フォロワーシップ」の中で、三成が功を奏したフォロワーシップとして、三献茶の他に、賤ヶ岳の戦いにおける諜報活動と兵站、栄転の拒否、博多の復興が挙げられていました。
 賤ヶ岳の戦いにおける諜報と兵站については、「リーダーのニーズを見越して、さらなる価値を提供」したと述べられ、具体的には「目的(柴田勝家を倒す)に最大限貢献する要因(諜報活動による情報活動とロジスティクスの整備)の見極め」と説明されていました。
 「ロジスティクス」とは、この場合は兵站管理のことですが、賤ヶ岳の戦いの直前の秀吉の大垣からの大返しの際、街道に松明と握り飯を用意したことなどを指します。このことは小和田哲男氏の「石田三成」(PHP新書)の中で、「志士清談」には「加藤清正」がしたことだと記載されているものの、清正は秀吉本隊と移動しているので、そういうことをしたとは考えられず、このあたりの土地に詳しい三成が果たしたことだという見解が述べられ、それ以降、この見解が割と支持されています。中井俊一郎氏の「石田三成からの手紙」(サンライズ出版)でもそういう見解が示されています。
 三成が諜報活動をしていたことを示す史料として、称名寺宛の三成書状がありますが、この書状については、前述したように、太田浩司氏の「近江が生んだ知将 石田三成」(サンライズ出版)、中井氏の「石田三成からの手紙」、小和田氏の「石田三成」などで取り上げられ解説されていますし、前日の「三成の戦4」のトークショーの際、田附清子氏も触れられていました。
 称名寺自体は、私はまだ行ったことがないのですが、小冊子「MEET三成 長浜・米原・彦根」の「石田三成関連マップ」に記載されています。最寄り駅はJR虎姫駅で、そこから東へ歩くと行けますので、一度訪ねてみたいと思っています。三成の生まれ故郷の石田村から北西方向にあり、それほど離れていません、土地勘がある三成に諜報活動が任されていたのではないでしょうか。
 栄転の拒否ということについては、「組織目的を俯瞰的に捉えてのリスク管理」と述べられ、具体的には「私的利益(九州への栄転)を超えて、公的利益(佐和山にとどまることによって豊臣政権の安定を図る)を優先する」と説明されています。
 これはたびたび拙ブログ記事でも触れているように、越前に転封になった小早川秀秋の領地である筑前・筑後を三成に与えるというのが秀吉の意向であったものの、三成はそれを断って秀吉のそばにいて政権を支えるという道を選んだことを指します。それを示す家臣の大音新介宛の三成書状が残っており、その書状については、中井氏の同書でも取り上げられ詳しく解説されています。

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