関ヶ原の残党、石田世一の文学館

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zoom RSS 石田三成の実像1512 小野善生氏講演6 功を奏したリーダーシップ3 取次・領国統治

<<   作成日時 : 2015/11/15 11:09   >>

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 11月1日に長浜市石田町で行われた「三成祭」の際の小野善生氏の講演会「石田三成公に学ぶリーダーシップ・フォロワーシップ」の中で、三成の功を奏したリーダーシップとしては、「大坂城の浸水を防いだ」「島左近の登用」の他に「各大名の秀次への取次」「領国統治(佐和山城主)」が挙げられていました。
 取次については、「上司を動かし長期的視点に基づく組織観関係の構築」と述べられ、「上司を説得し(マネジング・ボス)長い目で見て味方につけておく(寛大な処置を実現)、恩を売ることによって組織を盤石にする」と説明されています。
 三成が取次役として務めた大名の多くは、関ヶ原の戦いの際、西軍に就くなり、三成側に心を寄せたりしていました。上杉景勝、島津義弘、佐竹義宣、相良頼房、津軽為信など。このうち、上杉景勝は関東に攻め込むことをせず、最上領の方に侵攻しましたし、島津家は、兄の義久の反対もあって、十分な兵力を関ヶ原に動員できませんでした。佐竹家も内部の対立があり、関ヶ原の戦いの際は兵を動かせませんでした。相良頼房は関ヶ原の戦いでは西軍に就いたものの、関ヶ原敗北後の大垣城籠城戦の際、西軍を裏切っています。もっとも、その後、相良家はそのことに罪の意識を感じて、藩内の願成寺に三成等の墓を建立しています。津軽為信は東軍に就きましたが、長男の信建は西軍に属し大坂城にいました(そういう形で津軽家の存続を図ったわけです)。津軽家は三成に恩義を感じ、三成の次男の重成を自藩に匿い(杉山源吾と改名)、家臣として厚遇しましたし、三女の辰姫を津軽信枚の妻に迎えています。
 領国統治については、「合理性に裏付けられた説得」と述べられ、「合理的根拠に基づき(数値データによる公平性の確保)、適切に説明責任の実践を通じて意識変化を促す」と記されています。
 三成が領国経営に対していかに公平性を大事にしてかは、領内に出した十三ヶ条と九ヶ条の掟書に端的に表れています。この点について、中井俊一郎氏の「石田三成からの手紙」(サンライズ出版)の中で詳しく論じられています。
 すなわち、「同時代の領主でこれほど細かく厳密な規定を行った者はいない。民政に通じた三成であればこその掟書と言えるが、その思想の一つは公平性確保であった」と。
 また「政治家としての三成の治世の特徴の一つは、原理原則を貫く、筋を通すということである。その姿勢は全国規模の政治でも、自己の所領の治世でも表れている」とも指摘されています。
 全国規模ということで云えば、検地にしても、厳密な検地尺を利用して、正確な測量を行いました。そういう三成の公正さ、公平性が、人々の信頼を得、独自の人脈を作り上げたのではないでしょうか。三成は人望がなかったというのは、だから関ヶ原の戦いに負けたのだという偏った捉え方につながり、誤った見方と云えます。
 

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