関ヶ原の残党、石田世一の文学館

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zoom RSS 石田三成の実像1516 小野善生氏講演8 三成の不本意な結果となったフォロワーシップ2 秀次追放?

<<   作成日時 : 2015/11/20 17:19   >>

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 写真は長浜市石田町の石田会館のそばに建つ石田三成銅像を「三成祭」が行われた11月1日に撮ったものです。「石田三成」の名を記した旗が建っています。法要の始まる1時間以上前に撮りましたが、すでに石田会館の近辺は人々で賑わっていました。法要に来年の大河ドラマ「真田丸」で三成を演じる山本耕史さんが参列するということもあって、例年にもまして参加者は多かったように思われます。人出が多いことを予想して、われわれオンライン三成会の一行も早い目に現地入りしたのですが。
 「三成祭」の午後に石田会館で行われた小野善生氏の講演会「石田三成公に学ぶリーダーシップ・フォロワーシップ」の中で、三成の不本意な結果となったフォロワーシップの一つとして、「加藤清正蟄居」が挙げられていましたが、清正蟄居の話自体が、虚構ではないかという見解が研究者によって示されていることを前述しました。
 また「地震加藤」の話の不自然さについて、これも前に取り上げたことがありますが、西山昭仁氏によって指摘されています。すなわち、伏見城倒壊で混乱した中、大勢の武士を引き連れて登城するのは謀叛ともみなされかねないこと点などが挙げられ、史実として鵜呑みにはできないと結論づけられています(「週刊 新発見!日本の歴史 豊臣政権と朝鮮出兵の真相」の「伏見城を襲った歴史に残る大地震」)。
 三成等の讒言によって、清正が蟄居させられ、伏見大地震の時の活躍で謹慎を解かれたという話は、作られたものであり、この点は小野氏に知っていただくてはならないと思いました。むろん、小野氏は歴史研究者ではないので、通説に基づいてフォロワーシップの話をされるのは致し方ないところですが。
 そういう意味では、三成の不本意な結果となったフォロワーシップの一つとして、「豊臣秀次追放」が挙げられていることもそうです。この件について、講演会では「フォロワーシップを独占的に発揮」と説明されていました。
 こういう説明の仕方には、三成が秀吉の意向を受け、豊臣政権維持のために、秀次事件を画策し実行したという捉え方があらわれています。
 もっとも、秀次事件に三成が全く関わっていなかったのかといえばそこまでは云えません。三成が秀次糾明のために聚楽第に赴いたのは確か(中野等氏の「石田三成の居所と行動」)ですが、だからといって、三成が秀次事件を画策したというのは江戸時代に作られた偏見に満ちた捉え方です。オンライン三成会編「三成伝説」(サンライズ出版)の「紀伊・高野山」の章(「舞兵庫」の章でも少し触れています)、秀次事件は三成が画策したもののではないこと、実際は三成は秀吉と秀次の間で苦慮していたこと、豊臣家の内紛が豊臣家のためにならないことをわかっていたことなどを述べ、その論拠を示しました。
 

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