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zoom RSS 大河ドラマ探訪336 大坂の陣400年47 千田嘉博氏の講演会「豊臣大坂城と真田丸」  

<<   作成日時 : 2015/11/27 21:48   >>

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  11月23日にNHKで放送された「大河ドラマ真田丸 クイズショー」で、真田丸の形が従来の半円形ではなく、楕円形のものとして紹介されていました。これは千田嘉博氏の見解に基づいているものと思われます。3日に大阪明星学園で行われた「真田丸プレミアムトーク」の千田氏の講演会で、大河ドラマ「真田丸」では半円形に描かないように、NHK側に注文をつけていましたが、「クイズショー」でもその見解が反映されているのでしょうか。  
 その千田氏の講演会「豊臣大坂城と真田丸ー真田信繁の戦略を読むー」では、真田丸の通説的理解について具体的な説明がなされ、その上で「浅野文庫蔵諸国古城之図」の「摂津 真田丸」には、通説とは全く異なる真田丸の描写がされており、またそれを裏付けるように真田丸の北側に巨大な谷があることが科学的な調査によってわかり、真田丸は従来考えられていた馬出しではなく独立した出城であったことが明らかにされていました。真田丸の位置について、「元禄4年大坂絵図」などから、現在の明星学園の敷地を中心とする場所にあったと述べられていました。
 真田丸の強さについて、石落としを備えた櫓、上下二段で守った桟敷付きの塀、城兵の移動を確保した桟敷と櫓の連携が挙げられ、その具体的な様子をCGを使った再現画面で説明されていました。
 また講演会では、信繁の勝利の戦略は、城を利用して敵の側面をつき、主力に打撃を与える作戦であり、それは上田城でも大坂城でも共通していること、信繁は局地戦で勝利をおさめそれを外交カードに使い、交渉のイニシアティブをとることが目的だったと解説されていました。
 真田丸に関する千田氏のこういう見解を初めて知ったのは、拙ブログ記事で前にも取り上げたように、「歴史人 2015年4月号」に掲載された千田氏監修の「新説!『真田丸』は孤立無援の二重構造の巨大な要塞だった!」においてでした。
 講演会では、大坂の陣における徳川方の攻城法についても説明されていましたが、これは前述の書には記されていないかったので、新鮮に感じました。徳川方の攻城法は、築山と交通壕を作ることであり、それはヨーロッパにおける稜堡式城郭の攻城法と同じだと指摘されていましたが、こういう見方は聞き始めでした。ヨーロッパでは、ジクザグの塹壕を作って近づき、大砲で城壁を破壊するという方法が取られ、家康もその戦法を使ったのだと。
そのことに関連して、NHKの番組「徳川家康×エリザベス1世 大坂の陣の真実」で、家康はイギリス艦隊がスペイン無敵艦隊を打ち破ったカルバリン砲をイギリスから入手し、大坂冬の陣で使ったことを明らかにしていましたが、家康が国際的な戦法を用いていたことを改めて感じました。

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