関ヶ原の残党、石田世一の文学館

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zoom RSS 石田三成の実像1502「石田三成祭」2 真田徹氏「関ヶ原 真田の決断」2昌幸と三成は相婿?三成のよさ

<<   作成日時 : 2015/11/03 23:22   >>

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写真は昨日長浜市石田町で行われた「石田三成祭」の際の、真田徹氏と小栗さくらさんによるトークショー「関ヶ原 真田の決断」が始まる時の様子を撮ったものです。
 そのトークショーで、真田昌幸と三成は相婿(昌幸の夫人と三成の夫人は姉妹)であったという説を真田氏は述べておられました。もっとも、相婿説には、拙ブログ記事でも前述したように、研究者によって否定的な見解が示されています。
 三成の夫人は宇多頼忠の娘ですが、昌幸の夫人も宇多頼忠の娘とする説が成り立たないことについて、橋場日月氏の「知れば知るほど面白い 人物歴史 丸ごとガイド」(学研)には、宇田(多)頼忠が世に出たのは天正2年以降であるため、その娘が「永禄年間に昌幸の妻となれる訳がない」と記されています。
 この相婿説は、宇田(多)頼忠の兄である尾藤知定の息子の頼次が石田正継(三成の父)の猶子となり、石田刑部少輔と名乗って昌幸の娘を娶ったことからの混同であると橋場氏の同書で指摘されています。すなわち、三成と石田刑部少輔とは義理の兄弟の関係になり、昌幸と三成は姻戚関係になるというわけです。
 真田氏は三成のいい点について、頭のよさを挙げていましたが、三成がもっと遅く生まれていたら、頭脳を生かしてさらなる活躍ができていたということも述べられていました。前日の「三成の戦」でも、そういう意見が出ていましたが、確かに関ヶ原の戦いで命を落とさなかったら、検地や刀狩などの政策を実施したように、治世面でもっといろいろなことに尽力していたでしょうし、平和な社会作りに貢献していたはずです。
 一方、小栗さくらさんは、三成のよさについて、誠実なところを挙げ、秀吉に意見を言うのみならず、それは身分の上の者にも下の者にも変わらなかったことを指摘されていました。また信之が三成の手紙を大切に持っていたことについても触れられ、信之は三成のことが好きだったと述べられていました。
 信之宛の三成書状については、「三成の戦」のトークショーでも、田附清子氏が触れられ、大半が日常的な私信であることを明らかにしていました。それらの書状が真田家で代々箱の中に保存されてきたこと、書状を糊付けしたのは三成が初めてだったことも田附氏は述べられていましたし、信之宛の三成書状については、中井俊一郎氏の「石田三成からの手紙」(サンライズ出版)にも触れられていることが紹介されていました。
 真田徹氏は、最近も家から刀が新しく発見されたことも語られ、他の家の蔵にも新たな史料が眠っているかもしれないと述べられていました。大河ドラマが放送されるたびに、主人公やその関連人物についての新たな史料の発見があるとも述べられていましたが、実際、そのことがよくマスコミで取り上げられます。真田氏の新刊本「幸村の系譜」(仮題)が12月中旬に出ることも触れられていました。
 

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