関ヶ原の残党、石田世一の文学館

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zoom RSS 石田三成の実像1506 「三成の戦4」5 三成弁当3 「赤蒟蒻 瑞岳院風」と「幸村漬」

<<   作成日時 : 2015/11/09 10:43   >>

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 写真は「三成の戦」のイベントが始まる前に、許可を得て「いしたみつにゃん」と「しまさこにゃん」を撮ったものです。開演までにはまだ時間がありましたから、後ろの席は空いています(荷物が置いてありますが、「戦国無双4」のグッズ売り場などの方にいかれており、売り場にはすでに長い行列ができていました)が、舞台の前にはたくさんの女性たちがシートを敷いて座っていました。
 さて、三成弁当ですが、一昨日付の拙ブログ記事に貼付した写真の一段目の右端は、「赤蒟蒻(こんにゃく) 瑞岳院風」と名づけられ、赤蒟蒻と鰹節が使われています。この料理の説明には次のようなことが記されています。
 「『かか煮』であることから。なお鰹節については、現在のような燻製によるものは江戸期土佐で始まったものの、乾して固くしたものは古くから存在しており、とくに室町期には花鰹も存在したという。また赤蒟蒻はいうまでもなく近江名産であり、信長が作ったともいわれている」と。
 瑞岳院は、三成の母の法名であり、三成は母の葬儀を文禄3年(1594)9月3日に大徳寺三玄院で営んでいます。千利休切腹事件に三成が関与していたら、大徳寺で葬儀を行えたはずはありません。大徳寺三門に掲げた利休の木像が問題視され、木像まで磔にされたわけですから。また利休追及の件が持ち上がった時には、三成は上方にいませんでしたし、三成の参禅の師は大徳寺の春屋宗園であり、三成と大徳寺とは特別な関係にあり、関ヶ原の戦いの後処刑された三成の遺骸を三玄院に葬ったのは春屋宗園たちでしたから、そういうことをもってしても、利休切腹事件を三成が画策したという捉え方は誤りであることがわかります。
 近江名物の赤蒟蒻は、私も家の土産に何回か買っています。
 一段目の左端は、「幸村漬」と名づけられた「海月(くらげ)と鶏肉の和え物」であり、りんご、柿、干しぶどうも使われています。この料理については、次のように解説されています。
 「くらげはあまり食用とされたこなかったものの、1600年代に信州で食された記録があり、この近辺では食べられてきたと思われる。またぶどうは甲斐で、和りんごは湖北で作られてきた。幸村が甲斐で生まれ信濃に移転したことから、これらの食材を『和え』ることで、二人の友情を模してみた」と。
 「幸村漬」とはなかなかうまい命名であり、いろいろ考えられて作られ料理だと感心しました。
 ごはんは、「黒豆おこわ」であり、その上に載っている、ラップに包まれたものは「鮒ずし」です。「鮒ずし」はむろん、近江の名産ですが、私は苦手なものの、この「鮒ずし」はくさみもあまりなく、抵抗なくおいしく食べられました。
 今回の「三成弁当」を作ったのは、「地域料理情報発信の里 赤谷の里」ですが、工夫が凝らされたいろいろなおかずを楽しめて、贅沢な感じがしました。一度きりで終わるのではなく、三成のイベントがあるたびに出してほしい弁当です。
  

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