関ヶ原の残党、石田世一の文学館

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zoom RSS 石田三成の実像1531 日帰りツァーで訪ねた鶏足寺の紅葉・三成が落ち延びた法華寺、大蛇の岩窟

<<   作成日時 : 2015/12/17 13:04   >>

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  写真は長浜市の鶏足寺の紅葉を11月27日に撮ったものです。前述したように、バスでの日帰り旅行の際に鶏足寺・多良峡・永源寺を訪ねましたが、残念ながらいずれも紅葉のピークは過ぎていました。
 鶏足寺は己高山(こだかみやま)にありますが、このあたりは三成にとって縁の深いところです。関ヶ原の戦いに敗れた三成が隠れたとされるのが、己高山の近くの三頭山(みつかしらやま)の山腹にあった「大蛇(おとち)の岩窟」であり、方角的には鶏足寺のずっと北になります。大河ドラマ「葵 徳川三代」では、この岩窟で三成が捕らえられる場面が撮影されていました。
 私はオンライン三成会の人々と一度だけこの岩窟を訪ねたことがあります。その時は行きは途中まで地元の人の車に載せてもらいました(ガタガタ道であり、かなり揺れました)、帰りは山道を1時間程、歩いて己高庵(ここうあん)のところまで戻ってきました。岩窟の中にも入りましたが、縄を伝って降りなければならず、多少苦労しましたが、暗い岩窟の中にしばしたたずみ、三成の心情を思うと感慨深いものがありました。
 また己高庵で、三成の長男の重家が出家した妙心寺寿聖院の過去帳である「霊牌日鑑」を見せてもらったことも貴重な経験でした。「霊牌日鑑」では、三成が仕えたのは18才の時であり、姫路においてだと記されています。三成仕官は15才の時長浜においててだったという説もありますが、これは三献茶の話とも結びついています。
 今回のバス旅行では、駐車場から歩いて、己高庵のすぐ南にある、鶏足寺や法華寺などの文化財を収蔵した己高閣(ここうかく)、世代閣(よしろかく)を通って鶏足寺に向かいましたが、己高閣には三成の母である瑞岳院の墓石が安置されています。しかし、ツァー旅行の哀しさで、時間的な制約があり、そこに立ち寄る余裕はありませんでした。
 オンライン三成会編「三成伝説」(サンライズ出版)には、瑞岳院の墓石は法華寺から移されたと記されています。法華寺の塔頭である三珠院は、関ヶ原から落ち延びた三成が頼ったところだと云われており、探索が厳しくなり三珠院が危なくなったので、古橋村の農民の与次郎に背負われて大蛇の岩窟に隠れたとされています。法華寺は鶏足寺の北に位置していますが、今はいずれも跡しか残っていません。法華寺は三成が秀吉に仕えたきっかけとなったとされる三献茶の舞台となった場所だという説があります。母との縁で、三成がこの寺で仕えたとされています。もっとも、三献茶の舞台は三成の生まれ故郷に近い大原観音寺だという説もあり、この方が有名かもしれません。もっとも、三献茶の話自体、江戸時代の書物に初めて出て来る話であり、事実であるかどうかはわかりませんが。
 

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