関ヶ原の残党、石田世一の文学館

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zoom RSS 石田三成の実像1541 瓶割り柴田の逸話 太田浩司氏の講演7 吉継・三成共に奥州検地

<<   作成日時 : 2015/12/30 22:22   >>

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 今年ももう後一日ですが、定年退職して4年目、月日の経つのがますます早く感じられます。
 今年は講演会や発掘調査現地説明会によく行きました。三成関係としては、桐野作人氏、矢部健太郎氏、小野善生氏の講演会、大坂城、指月伏見城、佐和山城の現地説明会。講演会は他にも、「源氏物語の真実」、「平家権力の実像と『平家物語』」、「平安京の都市とくらし・京町家 梅忠町を復元する」、「真田丸プレミアムトーク」、「京都環境文化学術フォーラム」、「スーチーさんと京都」などに参加し、それによって多くの知見を得、大いに学びました。
 三成関連のイベントとしては彦根での「三成の戦4」、長浜市石田町での「三成祭」、オンライン三成会会員有志との名護屋・福岡旅行に参加し、内容の充実した有意義な時間を味わいました。
 宿泊旅行としては他にも、山代温泉、萩、天橋立、福井、小浜などを訪ねましたし、彦根にも数回泊まりました。京都は寺社や史跡などいろいろ回っていますが、奥深さを感じることしきりです。大阪は夏の陣400年の関連イベントに参加し、また広岡浅子の関連遺跡めぐりなどをしました。奈良は短歌会もあって何回か行きましたが、それとは別に行った春日大社本殿拝観は貴重な体験でした。鶏足寺、多良峡、永源寺の日帰りツァーにも参加しました。
 今年訪ねた場所ばしゃゃところでまだ拙ブログで紹介し切れていないことも多々ありますが、ぼちぼちと取り上げていきたいと思います。
画像
写真は北の庄城址・柴田公園・柴田神社にある 「瓶割り柴田」を12月24日に撮ったものです。この話は私自身知りませんでしたが、次のような説明がされていました。
 「元亀元年(1570)南近江に侵攻した織田信長は長光寺城を攻め落とし柴田勝家を配置した。城を奪われた六角家は奪還すべく大軍で攻め寄せ勝家は籠城して必死に耐えた。
 しかしその間に水路を絶たれ絶体絶命の窮地に追い込まれた勝家は味方に瓶の中の水を飲ませた後、瓶を割って己の邪念を打ち砕き、強い信念を持って皆を奮起させたのであります。
 結果、背水の陣で挑んだ勝家は大勢の六角家を打ち破り、これが『瓶割り柴田』の異名となって後世に語り継がれている」と。
 もっとも、この逸話は「武家事紀」に記載されているものの、それを裏付ける一次史料はないようです。ちなみに、この逸話の時、三成は11歳であり、むろん、秀吉に仕えてはおらず、寺で修行していた時期かもしれません。
 さて、23日に敦賀で行われた太田浩司氏の講演会「秀吉奉行としての吉継・三成」の中で、三成と吉継が忍城攻めを一緒に行った後、三成は太平洋側を、吉継が日本海側をそれぞれ北上し、奥州で検地を行ったことが述べられていました。そのことを示す史料として、大谷吉継の名が入った天正18年8月付の「出羽国御検地条々」、8月10日付の三成宛豊臣秀吉朱印状が挙げられていました。花ヶ前盛明氏編の「大谷刑部のすべて」(新人物往来社)の年表の天正18年の項に「8月1日、秀吉、上杉景勝と吉継に出羽庄内三郡(山形県東田川郡・西田川郡・飽海郡)の検地を命ず」とあります。三成の方は、「相馬領・岩城領の検地を担当した」と中野等氏の「石田三成の居所と行動」に記されています。

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