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zoom RSS 大河ドラマ探訪338「真田丸」3 昌幸夫人は公家出身? 石田三成の実像1550 丸島和洋氏の見解

<<   作成日時 : 2016/01/16 12:40   >>

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 大河ドラマ「真田丸」では、真田昌幸の夫人は公家の出身という設定になっており、演じる高畑淳子さんの衣装は、公家らしいものになっていました。真田昌幸の夫人と石田三成の夫人は、姉妹であり、共に宇多頼忠の娘であるとの説があり、2009年に出版したオンライン三成会編「三成伝説」(サンライズ出版)の「紀伊・高野山」の章では、その説に従いました。しかし、その相婿説には複数の歴史学者から疑義が出されており、2012年に発行した「新装版 三成伝説」では、「三成夫人と昌幸夫人は姉妹であり、宇多頼忠が父親とされるが、これには異説もある」と付け加えました。
 この点について、「真田丸」の時代考証担当者のお一人である丸島和洋氏の著書「真田四代と信繁」(平凡社新書)の中で、三成夫人と昌幸夫人が共に宇多頼忠の娘であるというのは、誤伝であると指摘されています。すなわち、昌幸の娘が、宇多頼忠の子である宇多頼次に嫁いでおり、頼次は三成の父である正継の猶子となり、石田刑部少輔と名乗っていることから、それが誤伝となって相婿説につながったのだと。
  昨年12月23日に敦賀で行われた太田浩司氏の講演会「秀吉奉行としての吉継・三成」の講演会資料にも、宇多頼忠の子が頼次と記されており(花ヶ崎盛明氏編『大谷刑部のすべて』の系譜)、講演会でもそのように説明されていますが、拙ブログ記事でも記したように、頼次は実際は頼忠の兄の子です。宇多頼忠の兄は尾藤知宣であり、九州攻めの際、味方を救援しなかったという罪で追放され、小田原攻めの直後に、秀吉によって殺されます。頼忠も尾藤という姓でしたが、宇多に替えました。それは豊臣秀長の配慮だったと、白川亨氏の「石田三成とその一族」(新人物往来社)に記されています。三成にとって妻の伯父が殺されたのですから、心穏やかではなかったものと考えられます。
 昌幸夫人の出自について、丸島氏の同書では、昌幸夫人は公家の侍女の出身であった蓋然性が高く、武田氏滅亡後に、信玄の養女であると脚色されたと指摘されています。
 1月7日に朝日新聞に掲載された「三谷幸喜のありふれた生活」の「『真田丸』、いざ出陣!」の中で、信繁を演じている堺雅人さんについて、「『笑顔で喜怒哀楽を表現する男』と評された彼(僕が評したのですが)」と記されています。 その記事には、三谷氏が脚本を書いた「新選組!」で、堺さんが新選組副長の山南敬助を演じたことにも触れられていますが、確かにその時の堺さんの笑顔はとりわけ印象的であり、演技のうまさが光っていましたし、そう思った人は少なくなかったでしょう。上述の三谷氏の堺雅人評は言い得て妙な表現だと思いました。私自身、その時まで堺さんの存在を知りませんでしたが、次には大河ドラマ「篤姫」で 「うつけもの」と見せかけていた徳川家定を好演していたことも、今なお鮮烈な印象となって残っています。
 

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