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zoom RSS 大河ドラマ探訪339「真田丸」4 昌幸の進言は事実か? おみくじなどで大事なことを決めていた戦国時代

<<   作成日時 : 2016/01/22 19:01   >>

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 大河ドラマ「真田丸」第一回で、真田昌幸は武田勝頼に岩櫃城に退避するように勧め、勝頼もそれを受け入れるものの、軍議の結果、岩殿城に退くようになったという描き方がなされ、それは「加沢記」に基づくものだということを拙ブログ記事で記しましたが、「甲陽軍鑑」にも同様の記載があることが、丸島和洋氏の「真田四代と信繁」(平凡社新書)に記されています。もっとも、勝頼が人質になっていた真田信幸に帰国を許したというのは、「加沢記」にだけ記載があることも書かれています。
 丸島の同書には、「成立が天正10年8月と早く、比較的信頼性の高い軍記物『甲乱記』には、昌幸の進言の記載がない」と記され、さらに「『甲陽軍鑑』の描くような、美しい主従関係は幻想といえるだろう。あるいは『甲陽軍鑑』が成立した元和7年(1621)に大名となっていた真田家に配慮した記述がなされたのかもしれない」と指摘されています。
 実際に、昌幸が勝頼に岩櫃城に退避するように勧めたのかどうかは、今後の検討課題でしょう。
 さて、第2回では、信幸・信繁などをはじめとする真田一族の逃避行、武田勝頼の最期、昌幸が上杉につくか北条につくか迷った末、織田を選ぶまでのことが主として描かれていました。
 シリアスなドラマの中にも、コミカルな掛け合いを入れたり、昌幸がどこにつくかを決める時にくじ引きする場面を作ったりして、三谷幸喜氏らしさがあらわれているような気がしました。戦国時代、大事な場面でくじ引きやおみくじがよくされていたという事実を三谷氏が知っていて、こういうストーリー展開にしたのではないかとも思いました。
 この点について、川口素生氏の「戦国なるほど事典」(PHP文庫)には、おみくじで出陣日を決めた武将の話、おみくじで戦術や進軍ルートを決定した話、今川義元がくじ引きで当主に選ばれたことなど、具体的な例がいろいろ示されています。もっとも、当時のくじ引きの仕方は、現代と違って、「神前で神官にくじを引かせるという例が少なくありません」と述べられています。
 大河ドラマでも、くじ引きをすることについて、昌幸が「私は八百万(やおよろず)の神に託した」のだと言っていました。もっとも、信幸にくじを引かせるものの、くじをぐっと握って信幸が引けないようにして、「このように大事なことを本当にくじで決めてよいのか」と前言を翻すことを言い、その後信繁と信幸が議論するものの、「わしは決めたぞ」と叫んでくじを火にくべるというどんでん返しが行われ、信長につくことを表明していました。
 最初昌幸がくじで選ぼうとしたところ、信繁は「面白い」と言い、信幸は「そのような大事なことをくじで決めてよいのですか」と言っていましたが、二人の性格の違いをこういう形で表していることもうまいと思いました。信幸の言葉を、結果的に昌幸もうべなっていますから、信幸の真面目さを昌幸も認めていたということになるでしょうか。

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