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zoom RSS 大河ドラマ探訪340「真田丸」5 昌幸宛の北条氏邦書状・昌幸の進言は事実か?2・織田への出仕 

<<   作成日時 : 2016/01/26 11:18   >>

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 大河ドラマ「真田丸」第二回で、武田家の滅亡後、これからの真田家をどうするかを昌幸が信幸・信繁の前で決める場面で、昌幸が北条家とは手紙をやりとりして気脈を通じていると話していました。この点について、丸島和洋氏の「真田四代と信繁」(平凡社新書)の中で、次のようなことが記されています。
 「勝頼が自刃した翌3月12日、昌幸は北条氏直の叔父氏邦から書状を送られている。実は昌幸はすでに、白井長尾憲景(のりかげ)を通じて北条氏に従属を打診しており、本格的な交渉に移ったのが本書状であった。したがって、昌幸は武田家滅亡前に、新たな従属先を模索していたと考えられる」と。
この北条氏邦書状の内容が、笹本正治氏の「真田氏三代」(ミネルヴァ書房)で取り上げられています。この書状に関して、笹本氏の同書で次のように記されています。
 「文面からすると昌幸は、北条氏の重臣である八崎(渋川市)城主の長尾憲景へ二度にわたって、北条氏直に臣従する旨伝えていたようで、いち早く武田家に見切りを付けていたことが判明する。実際、当時の判断としてはそれしか武田家重臣が生き延びる道はなかったであろう。昌幸が勝頼を岩櫃城に招こうとしたとの説は広く世情に流布しているが、事実とは考えにくい」と。
 笹本氏の見解も、昌幸が勝頼を岩櫃城に迎え入れようとしていたということに対して否定的であるのがわかります。
 さて、第三回では、昌幸が題名通り「策略」をめぐらせて、上杉景勝宛ての偽の手紙を信幸に持たせ、それを途中で奪わせ、その手紙が信長に届くように仕向け、信長の反応を見ようという展開になっていました。昌幸はその作戦を成功させるべく、信幸にはそのことをあらかじめ云わなかったため、信幸はあとでそのことを知ってショックを受けていましたが、むろん、これはフィクションであり、ドラマティックな話にしようと、三谷幸喜氏が考えついたのでしょう。しかし、少々無理のあるストーリー運びだという印象を受けました。
 昌幸が信繁を連れて信長に会いに行くというところで、第三回は終わっており、このあとドラマがどういう展開になるのか気になります。
 丸島氏の同書には、「『加沢記』は、3月15日に昌幸自身が高遠に出仕し、信長嫡男織田信忠から盃を賜ったと記すが、信忠はこの時甲府に入って」おり、こういう「『加沢記』の記述が誤りであることは間違いない」と指摘されています。「もし昌幸自身が出仕したとすれば、場所は諏訪の法華寺(諏訪市)で、3月20日頃のことだろう」とも推測されています。

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