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zoom RSS 石田三成の実像1561 丸島和洋氏「真田四代と信繁」における三成3 真田信幸宛の三成書状をめぐって

<<   作成日時 : 2016/02/09 11:06   >>

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 石田三成が真田信之に送った書状が、十数通残っていることが、オンライン三成会編「三成伝説」(サンライズ出版)の「真田信之」の章に記されていますし、中井俊一郎氏の「石田三成からの手紙」の中でも、「立場を超えた友情」と題して、その書状の数通について、その内容が紹介されています。
 中井氏の同書で冒頭に取り上げられている書状について、「信長の嫡孫の岐阜城主・織田秀信の湯治の世話を頼んだものだが、公的な書状というより、私信に近く、三成の態度も己を飾ることなく、感情を素直に表し、謙虚である」と解説されています。
 またこういう書状について、「三成が徳川方とのパイプ役を、真田信幸・本多忠勝ラインに頼んだといえるかも知れないが、三成の書状から窺えるのは、もっと人間的な繋がり」と指摘されています。三成「書状を信幸が真田家文書として大切に保存してきた」ことも記されています。
 丸島和洋氏の「真田四代と信繁」(平凡社新書)でも、信幸宛ての三成書状が取り上げられています。中井氏の同書と同様、織田秀信の湯治の世話を頼んだ三成書状についても言及されています。書状の中で、「三成は『貴方と私の半(仲)をお聞きになられてこのようになりました』と述べている。三成と信幸の交友関係は、広く知られたものであった」と記されています。
 また三成の息子が病気になったことを聞いた信幸がたびたび出した書状に対する三成の返信も紹介されています。「信幸に送られた三成書状は概して短い」が、これは「親密な関係にあった証拠である」と指摘されています。さらに「急ぎの御用があれば、『糊付』の書状にて承りたい」という三成書状の文面について、「糊付」とは「糊で封をした書状であ」り、「隠密の用向きに用いられた可能性が高」く、「両者は、密書をやりとりすることもある関係にあった」と指摘されています。さらにこれは「石田三成が『取次』として真田家を後見する役割を担っていたためである」という見解も示され、「信幸は寄親家康と取次三成という、ふたつのルートで豊臣政権との関係を築いていた」と記されています。
 三成が真田家の「取次」をしていたという関係が、信幸宛の三成書状の多さにつながったという捉え方ですが、むろん、二人は個人的にも親しい関係だったということも押さえられています。
 大河ドラマ「真田丸」では、信幸と三成の関係がどう描かれるかについては、不安もあり期待もあります。不安というのは、後に二人は東軍と西軍に分かれましたから、若い時から不和であったというふうに描かれるのではないかということです。期待というのは、むろん、こういう史実を踏まえて、二人が近しい関係にあったというふうに描かれるのではないかということです。 

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