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zoom RSS 大河ドラマ探訪345「真田丸」10 石田三成の実像1570 三成イベントへの期待・春日信達の裏切り

<<   作成日時 : 2016/03/02 17:31   >>

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 大河ドラマ「真田丸」の中で、三成が信繁に影響を与える重要な役割を果たす人物として描かれるとあって、三成関係のいろいろなイベントが行われるようで、今から楽しみにしています。
 まず5日に東京で「近江の将 石田三成出陣式」が開かれますが、今回は行けないのが残念です。三成を演じる山本耕史さんのトークショーもあって、大いに興味は惹かれますが。
 これに関連して26日には彦根の滋賀大学で「三成フェス」が行われ、小和田哲男氏の講演や松平定知氏・屋敷陽太郎氏・小日向えり氏によるパネルディスカッションなとが行われます。このイベントは申し込みましたが、希望者が多い場合は抽選となるので、当たるかどうかわかりません。
 また5月から11月にかけて、長浜、彦根、米原で「MEET三成展」が開かれますが、これは是非見に行こうと思っています。
 大阪でも「真田丸」の関連イベントがこれからいろいろ行われると思いますが、できるだけ参加するつもりです。
 「真田丸」でいつ三成が登場してくるのか気になりますが、秀吉も少し出て来ただけで、本格的な登場はしていません。
 「真田丸」では、真田昌幸夫人は京の公家の出身だという設定になっており、宇多頼忠の娘であるという説はとられていませんから、頼忠の娘を妻にしている三成との接点がまだないのは当然と云えます。拙ブログ記事でも述べたように、昌幸夫人と三成夫人は共に宇多頼忠の娘であり、昌幸と三成は相婿であるとの従来からの説には、私も疑問を感じており、三成と昌幸の接点ができるのは、秀吉が昌幸に書状を送ってからのことだと考えています。この時、すでに三成は結婚していましたから、もしその時点で昌幸と姻戚関係にあるなら、それをうかがわせるようなことが何かあるはずですが、その痕跡が見出せません。
 三成と信繁が接点が生まれるのも、信繁が人質として大坂城に来てからのことだと思われます。昌幸の娘が宇多頼忠の息子の頼次に嫁ぎ、その頼次が石田正継の猶子となって石田刑部少輔と名乗り、三成と頼次が義兄弟の関係となりますが、昌幸が秀吉に臣従してからのことです。
 さて、「真田丸」第八回では、上杉氏側の海津城代の春日信建を、真田昌幸が弟の信尹と信繁を送り込んで調略し、北条氏直の起請文を与えた時点で、信尹が春日信建を殺し、信建が上杉を裏切ったように見せかけるという展開になっていました。この展開はいささか衝撃的でしたが、この点について、丸島和洋氏の「真田四代と信繁」(平凡社新書)では、信建の「謀叛は事前に(上杉方)に露見し、信建は処刑されてしまう」と記されており、平山優氏の「真田三代」(PHP新書)でも同様の記述がされています。
 昌幸が信建を殺させ、裏切らせたように仕向けるというところは、三谷幸喜氏の新解釈ですが、確かに上杉も北条も衝突を避け、兵を引き、昌幸にとっては思い通りになったという点から推して、すべては昌幸の策略だというドラマチックな捉え方をしているわけです。

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