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zoom RSS 石田三成の実像1578 滋賀県の三成CMの「正しい理念で、すてきな治世」・太閤検地の不徹底さ

<<   作成日時 : 2016/03/20 15:27   >>

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 滋賀県が三成のCMを作ったのは画期的なことであり、時期的にも「真田丸」の三成登場に合わせてのことですから、効果的だと思われます。
 CMでは、三成を評価して、「武将といえば石田三成」、「配下にするなら石田三成」、「忠義心ナンバーワン宣言」、「正しい理念で、すてきな治世」などという言葉が出てきています。「忠義心ナンバーワン宣言」については、拙ブログでも触れましたが、CMで面白いのは秀吉が「さすがじゃ」とほめるものの、 「故人の感想です」というテロップが入っていることです。さらに次の画面で「武将の登用の際は、契約内容をよくご確認ください。無理のない主従関係をむすび、雇いすぎにはご注意ください」(さらに但し書きも付いています)などと大きな字で記され、思わず笑いを誘われました。
 こういう作り方に遊び心が現れており、余計にインパクトがあります。遊び心は関西らしいノリと云ってもいいかもしれません。
 三成が「1560年 滋賀県生まれ」と二回繰り返し、それを歌う形にしていることで、いやでも見る人の心に訴えてきますし、最後の観音寺の「三献の茶」のペットボトルの映像も効いています。
 「正しい理念で、すてきな治世」とありますが、確かに三成は豊臣政権のもと、公正な姿勢で、数々の政策を実掟し、平和な社会を築き上げようと努力しました。太閤検地も全国で実施するにあたって、厳密な方法で測量を実施しましたし、その治世方針は、領国に出したきめ細やかな掟書によってもわかります。その公正さが領民に支持され(むろん、厳しい面もありましたが)、関ヶ原の戦いの後も、三成を慕う気持ちが絶えなかったのでしょう。
 検地、刀狩や数々の法令など豊臣政権の重要政策を中心となって実施したのは、三成でしたし、その政策の多くは皮肉なことに、江戸幕府に受け継がれました。三成を奸臣扱いしておいて、その政策だけ横取りした形です。
 検地については、小和田哲男氏の「石田三成」(PHP新書)の中で、検地を「全国的規模で実施したのは秀吉の太閤検地がはじめてであった。これによりわが国のGNPがはじめてはじき出された」と記され、検地を中心となって実施した三成の功績が高く評価されています。
 しかし、鈴木将典氏の「『太閤検地』は、秀吉の革新的な政策だったのか」(日本史史料研究会編『秀吉研究の最前線』【洋泉社】所収)の中で、次のように指摘されています。
 「秀吉が把握した全国の『石高』は、各地に派遣した奉行の『政治的判断』で決められ、あるいは大名領国の基準(貫高や俵高など)を豊臣政権の基準(石高)に換算した数値であった」と。
 太閤検地は三成だけが行ったものではありませんし、全国的に統一した徹底したものではなかったことが指摘されているわけです。

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