関ヶ原の残党、石田世一の文学館

アクセスカウンタ

zoom RSS 石田三成の実像1585 「三成フェス」4 小和田哲男氏の基調講演「今、石田三成を再評価する」2

<<   作成日時 : 2016/03/29 10:13   >>

なるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 2 / トラックバック 0 / コメント 0

 26日に滋賀県立大学で行われた「三成フェス」の小和田哲男氏の基調講演「今、石田三成を再評価する」の中で、三成の功績として4点挙げられていました。
 1点目は豊臣政権諸政策を牽引してきたことで、その例として太閤検地が取り上げられていました。それまで検地自身は実施されてきたものの、全国規模で行ったのは三成が最初であり、今で言う日本のGNPをはじき出し、全国の石高が1800万石であることがわかったと述べられていました。鹿児島の尚古集成館に残る三成の署名入りの検地尺のことも紹介されていました。
 もっとも、講演会では触れられていませんでしたが、20日付の拙ブログ記事で前述したように、三成自身が全国の検地をすべて実施したわけではなく、奉行によって検地のやり方に差があり、徹底したものでなかったということが、鈴木将典氏の「『太閤検地』は、秀吉の革新的な政策だったのか」(日本史史料研究会編『秀吉研究の最前線』【洋泉社】所収)で指摘されています。
 2点目は「計数の才」を生かした兵站奉行としての働きであり、具体的には25万人を動員した九州攻め、20〜21万人を動員した小田原攻めのことが述べられていました。
 もっとも、三成は兵站奉行として活躍しただけではなく、武将として確かな戦略眼も持っていたことが中井俊一郎氏によって指摘されています(「三成伝説」「石田三成からの手紙」【共にサンライズ出版】)。
 3点目は都市計画のプランナーとしての働きであり、具体的にはそれまで衰退していた博多を、豪商の嶋井宗室や神屋宗湛らと共に復興させたことを例に挙げられていました。大河ドラマ「軍師官兵衛」では、三成を悪者として描いていたために、博多の復興は官兵衛の功績だというふうに描かれていました。実際は三成は官兵衛と協力して博多の復興に取り組んだはずです。
 4点目は、諸大名と秀吉の取次役としての働きであり、三成が取次役として徹底していた例として、毛利輝元が季節外れの桃を秀吉に献上しようとした時に、秀吉の体にさしさわるかもしれないという理由で、受け取らなかったという、これも割と世間に知られた逸話が紹介されていました。
 取次については、以前にも拙ブログで取り上げたことですが、山本博文氏の「天下人の一級史料」(柏書房)の「豊臣政権の『取次』と奉行」の中で詳しく論じられています。三成や浅野長政たちは「奉行でありながら『取次』の論理での行動があった」こと、取次は「豊臣政権の方針を大名に強制することがあった」が、「大名としては、いきなり譴責されて領地を失うよりは、『取次』から意見されて、行動や領内政治を改めた方がはるかによかった」ことなどが指摘されています。

テーマ

関連テーマ 一覧


月別リンク

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!
ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。
→ログインへ
気持玉数 : 2
なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー)

トラックバック(0件)

タイトル (本文) ブログ名/日時

トラックバック用URL help


自分のブログにトラックバック記事作成(会員用) help

タイトル
本 文

コメント(0件)

内 容 ニックネーム/日時

コメントする help

ニックネーム
本 文
石田三成の実像1585 「三成フェス」4 小和田哲男氏の基調講演「今、石田三成を再評価する」2 関ヶ原の残党、石田世一の文学館/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる