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zoom RSS 石田三成の実像1598 大河ドラマ探訪350「真田丸」15 三成の描き方1 景勝上洛で信繁と出会う?

<<   作成日時 : 2016/04/11 11:25   >>

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 大河ドラマ「真田丸」は昨日から大坂編に移り、待望の山本耕史さん演じる石田三成が登場し、真田信繁との出会いも果たしていました。
 「真田丸」では、天正14年(1586)、上杉景勝と直江兼続が初上洛する時に、信繁ときりが同行し、倶利伽羅峠付近まで出迎えに来た三成と出会うという設定でした。出会いが最悪だというのはドラマでよく用いられる方法ですが、「真田丸」でもそうであり、三成が上杉景勝と直江兼続には挨拶するものの、信繁のことは無視して何も言わないという展開でした。
 一行が京に着いた時、三成は支度のため先に大坂に行くと兼続に告げ、信繁が「なぜ、われらは大坂に行けません?」と尋ねたところ、三成は「景勝殿には上洛していただいた。意味がわからぬか」と言い、それに対して信繁は、「なるほど、このまま大坂に行っては上洛とはなりませんからね。だとすると、西国の大名が殿下に呼び出された時も、大坂を越えてまずいったん京に入り、その後大坂に向かうのですか」となおも尋ねると、三成は「むろんのこと」と言い捨てて去っていました。
 こういう三成の態度に対してきりは「なに、あれ」と言い、信繁は「人を不快にさせるなにかを持っている」と感想を述べると、兼続は「堅苦しいところはあるが、実に頭が切れる。ああ見えて熱い男よ」とフォローしますが、きりは「見えませんけどね」と切り捨てるように言っていました。
 もっとも、そのすぐ後、兼続の案内で、信繁は徳川家を出奔した石川数正に会いますが、この対面は三成のはからいによるものだろうと兼続は言っていました。
 信繁が三成について「人を不快にさせる」というところは、後の武断派武将たちとの対立を予感させますし、一見冷たいように人に誤解される三成の性格付けが行われているようですが、兼続は三成の本当の姿を知っているという描き方でした。三成が兼続に会ったのは、天正14年の景勝と兼続の初上洛の時です。小説やドラマで描かれることがよくある、天正13年に秀吉が佐々成政を攻めた時、落水城に行き、景勝と会い、三成は兼続とそれに立ち合ったのが出会いの最初だったということは、史実ではないようです。もっとも、三成は兼続とは天正11年以来、書状のやりとりはしており、秀吉と景勝の同盟の斡旋に当たっていました。
 「真田丸」では、信繁が秀吉の人質になったという描き方はまだされていませんが、この点について、橋場日月氏の「「知れば知るほど面白い 人物歴史丸ごとガイド」(学研)には、「昌幸は5月に上洛した景勝の留守を狙って幸村を上田に呼び戻し、そのまま今度は天下人・豊臣秀吉の人質として大坂に送ってしまった」と記されています。信幸が景勝らと上洛したというのは史実ではなく、ドラマ的な脚色だと思われます。
 
 

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