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zoom RSS 石田三成の実像1599 大河ドラマ探訪351「真田丸」16 三成の描き方2 景勝ら初上洛時の饗応

<<   作成日時 : 2016/04/12 11:51   >>

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 大河ドラマ「真田丸」の中で、三成は天正14年、加賀の倶利伽羅峠付近で上杉景勝と直江兼続を出迎えた時、「本日はここに御一泊いただき、明日出立。京の宿所は百万遍に用意してございます。しばしご滞在ののち、大坂へとご案内致します。今宵は加賀の名産を集めました。うまい酒でも飲んで、旅の疲れをいやしてくだされ」などと言っていました。
 このあたりのことについて、中野等氏の「石田三成の居所と行動」(藤井讓治氏編『織豊期主要人物居所集成』【思文閣出版】所収)には、次のように記されています。
 「5月28日には加賀森本で景勝主従を出迎えている(『上越別2』)。これ以降三成は景勝と同道することとなり、以下の動向は上杉博物館蔵『御上洛日帳』(『上越別2』)による。6月7日に景勝と三成は近江大溝を経て、夜五つ過ぎに入京。この日は一旦坂本に一泊する案もあったが、三成の意見に従ってそのまま入京した。6月10日には秀吉の使者として改めて京都百万遍に出向いて景勝と会っている。景勝は12日大坂へ下向し、三成は15日に大坂の屋敷に景勝一行を招き、饗宴をはった」と。
 一方、尾下成敏氏の「上杉景勝の居所と行動」(『織豊期主要人物居所集成』所収)には、景勝の上洛時の居所が詳しく記されていますが、三成たちに関係したところには、次のように記されています。
 「5月28日、木船を発ち倶利伽羅峠を越えた。すなわち加賀に入ったのである。そして森下近辺で前田利家・石田三成の出迎えを受け、同日中に利家の本拠金沢に到着した。翌29日、景勝は金沢城で利家の饗応を受けている(中略)
 (6月)7日、大溝を発ち、夜、入京した。宿所は六条の本圀寺である。8日・9日は同寺に滞在し、10日は百万遍、11日は六角堂を訪ねた。また11日には、木村清久から風呂を振る舞われている。
 6月12日、京都を発ち大坂へ赴いた。そして18日まで同地に滞在している。宿所は増田長盛邸であった。14日には秀吉の許へ出仕し、15日には石田や木村清久の饗応を受け、16日には秀吉や羽柴(豊臣)秀長が催した茶会に招かれている」などと。
 これらのことから、景勝らを加賀で迎えたのは三成だけでなく、前田利家も一緒だったこと、景勝らが京で泊まったのは本圀寺であることがわかります。本圀寺は以前に拙ブログ記事でも触れたように、当時は広大な敷地を有する巨大寺院であり、今の西本願寺の北に当たる場所にありました。今の本圀寺は山科に移っていますが。
 増田長盛、木村清久は、三成と共に上杉家との書状のやり取りをしていた人物であり、上杉家の取次に当たっていましたから、上洛した景勝らを厚くもてなしたわけです。「真田丸」ではストーリーを簡略化するためか、増田も木村も登場していませんでしたが。

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