関ヶ原の残党、石田世一の文学館

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zoom RSS 石田三成の実像1603  大河ドラマ探訪355「真田丸」20 三成の描き方5 大谷吉継との親密さ1

<<   作成日時 : 2016/04/18 15:17   >>

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  「真田丸」第15回に、片岡愛之助さん演ずる大谷吉継が初登場しました。三成の屋敷に吉継が訪ねてきて、滞在していた信繁を三成が吉継に引き合わせるという展開でした。大河ドラマでは、吉継と云えば、関ヶ原の戦いの直前に登場することが大半で、天正14年段階の吉継が描かれるのは珍しいことです(初めてかもしれません)。
 三成と吉継の親密さがうかがえ、二人が信頼しきっており、吉継も三成の性格をよく理解しているという内容でした。
 「真田丸」では、吉継は昌幸のことを知っていると信繁に述べると、三成が「わずかな兵で徳川を破った名将として今やお父上の名を知らぬ者はない」と言っていました。さらに三成は「刑部殿は拙者と共に殿下をかねてからお支えしてきた身。大坂一の切れ者として殿下にはなくてはならぬ存在」と吉継のことをほめたたえると、吉継は「治部殿、そのへんで」と遮ると、三成は「これは失礼」と謝っていました。吉継は堺の代官になるように秀吉に勧められている件を持ち出し、「やはりお断わりしようと思う。堺代官などそれがしの任ではない」と言うと、三成は「それは困ります。あなた以上の人物はおりませぬ」となおも勧めたのに対して、「おぬしがやればよいのだ。それがしはその下で。とにかく堺代官の件はお断り申す」ときっぱり断ると、三成は「あなたらしいな」と言って引き下がっていました。
 確かに、この天正14年6月に、三成は堺奉行に任じられています。吉継は三成を補佐したことが、花ヶ前盛明氏の「大谷刑部関係年譜」(花ケ前氏編『大谷刑部のすべて』所収)に記載されています。補佐役の役割については、小和田哲男氏の「大谷刑部と石田三成」(『大谷刑部のすべて』所収)の中で、「財務・町衆対策を担当した」と記されています。「堺市史」には、「天正14年より同16年迄は石田三成、同18年より文禄2年迄は大谷吉隆、富田政澄、同3年より慶長4年迄は石田重成が奉行となった」と記載されています。大谷吉隆は大谷吉継のことです。
 信繁、吉継、三成が飲食を共にしている時、加藤清正が昨夜の醜態を謝りにやってきますが、三成は「来客中だと言って追い返せ」というものの、吉継に「わざわざ詫びを言いに来るとはかわいいところがあるではないですか。会っておあげなさい」と言われ、三成はそれに従います。このあたり、後に三成が吉継に家康打倒の挙兵を告げた時、吉継が三成にいろいろ忠告をし、三成がその忠告を聞き入れる話を彷彿とさせます。そういうことが後のドラマ展開の伏線になっているのかもしれません。もっとも、三成挙兵の時の吉継のやりとりは、よく知られており、小説やドラマで取り上げられるものの、一次史料からはそういう話は裏付けられず、どこまで事実なのかはわかりません。「真田丸」で関ヶ原の戦いの前後について、どのように描かれるのか今から楽しみですが。
 

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