関ヶ原の残党、石田世一の文学館

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zoom RSS 京都探訪284 石田三成の実像1607 「禅ー心をかたちにー」展1 三成と交流が深かった高僧の像も

<<   作成日時 : 2016/04/24 11:36   >>

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写真は京都国立博物館の平成知新館で行われている展覧会「禅ー心をかたちにー」の掲示用オブジェを15日に撮ったものです。書かれている絵は、狩野山楽の筆になる「龍虎図屏風」の「虎図」です。妻と共に見て来ましたが、結構賑わっていました。三階から二階、一階と見て回りましたが、その量の多さと質の高さに圧倒されました。時期によって、展示物の入れ替えがあります。
 京都だけでなく、全国各地から集められた禅宗の名僧の肖像画、仏像、書画、工芸品なとが展示されていました。「禅宗の成立」「臨済禅の導入と展開」「戦国武将と近世の高僧」「禅の仏たち」「禅文化の広がり」のコーナーに分けられ、時代を追って、禅の世界が理解できるように工夫されていました。
 一番興味が惹かれたのは、「戦国武将と近世の高僧」のコーナーであり、豊臣秀吉像、伊達政宗像、武田信虎像、三好長慶像、長宗我部元親像、沢庵宗彭像、江月宗玩像などが展示されていました。沢庵宗彭や江月宗玩は三成とも親しかった大徳寺の僧であり、三成が母の菩提を弔うために佐和山に瑞岳寺を建立した時、開基の春屋宗園(三成の参禅の師)と共に赴きましたし、関ヶ原の戦いの後、三成が処刑された時、三成の遺骸を引き取って大徳寺の三玄院(三成が浅野幸長・森忠政と共に、春屋宗園の塔所として、建立しました)に手厚く葬ったのも、春屋や沢庵たちでした。これらのことは、白川亨氏の「石田三成の生涯」(新人物往来社)の中で詳しく記されています。三成と大徳寺の関係は、千利休切腹事件の後も良好でしたから、これをもってしても、三成が千利休切腹を画策したということは考えられません。
 黒田長政像の説明版に長政が関ヶ原の戦いの後、春屋宗園を師としたことが記されていますが、このことについては前にも拙ブログ記事で触れたように、長政の三成に対する特別な思いもあったのではないかと思っています。周知のように、長政は関ヶ原の戦いで三成隊を攻めただけでなく、小早川秀秋や吉川広家を調略したことでも功績を挙げた武将ですが、死んで行った三成たちに対する複雑な思いがあったのではないでしょうか。この肖像画の賛を記しているのが、江月宗玩であることもそういうことを感じさせます。
 伊達政宗像は、宮城の瑞巌寺が所蔵しているものですが、隻眼ではない姿に作られています。この像は写真などで見たことがありますが、実物を見るのは初めてでした。
 また秀吉の息子で夭折した棄丸(鶴松)の座像、所用の守刀、小型武具も展示されていましたが、これらを見るのも初めてでした。守刀も武具も小さく、哀れさを誘われました。鶴松が愛用していた木船玩具も有名ですが、これは展示されていませんでした。座像は妙心寺の隣華院、守刀と小型武具は妙心寺の所蔵です。

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