関ヶ原の残党、石田世一の文学館

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zoom RSS 石田三成の実像1609 大河ドラマ探訪358「真田丸」23 三成の描き方8 堺奉行2 利休との仲

<<   作成日時 : 2016/04/27 11:00   >>

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 大河ドラマ「真田丸」では、堺奉行になった三成が、千利休を邪魔な者として捉え、排除したいという描き方になっていますが、そういう捉え方には疑問を感じます。むろん、ドラマの展開として、三成の利休に対する考えが変わる可能性もありますが、どうも利休切腹事件まで尾を引きそうな予感がしています。
 白川亨氏の「石田三成の生涯」(新人物往来社)には、三成と利休の仲が悪くなかったことを示す証拠が、いろいろと挙げられています。
 まず三成が利休の娘の「お三」の婿である満代屋宗安(鵙屋宗庵)と特に親しく、茶会に同席していること、三成が関ヶ原の戦いの直前、茶の名器「唐来肩衝」を宗安に託した点。もっとも、利休の娘が嫁いだ宗安は文禄4年に亡くなっており、三成が名器を預けた宗安とは別人であり、代替わりしているものと思われますが。
 次に「利休が摂津・住吉にある田地のことで三成の世話になり、それに対する謝意を表した『石治少宛』の10月20日付の利休書状が残っている」点。
 さらに「慶長4年3月6日、吉野竹林院で催された千利休亡魂の茶会」に三成と親しい石川貞清が参加している点。「石川貞清の弟・一宗の妻は、三成の妻(お綾)の妹である」、「石川貞清自身の妻も大谷吉継の妹である」、「石川貞清の嫡子・藤右衛門重正(利親)の妻には、真田幸村の娘を迎えている」ことも指摘されています。ここからも石田家、大谷家、石川家、真田家の姻戚関係の一端がうかがえます。
 白川氏の同書には、利休切腹事件に三成が関与していないことについても、いろいろな論拠を挙げて論じられいますが、拙ブログで以前に取り上げましたし、「真田丸」でこの事件のことが描かれた時に、改めて触れたいと思います。
 白川氏の同書には、三成と堺奉行について、次のように記されています。
 「秀吉は自由都市堺の自治組織・会合衆との関係を維持しながら、次第に自己の権力機構の中に取り込もうとしていた時期でもあり、石田三成はその任務を円滑に果たしていたのである」
 三成は満代屋宗安の他にも、津田宗及などとも交流が深く、堺の商人と良好な関係を築き上げました。むろん、堺を秀吉政権に取り込もうとするのに苦労はあったと思いますし、むろん反発もありましたが、それを「真田丸」のように三成の利休への反発という描き方に持っていくのは、上でも述べたように問題に感じます。
 堺奉行として、三成は堺の発展に尽くしましたし、拙ブログ記事でも以前に記したことがあるように、奉行所(政所)内に天白稲荷神社を勧請していますが、これも堺の町の重要性に気付いていたからだと思われます。 

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