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zoom RSS 三成の実像1611大河ドラマ探訪360「真田丸」25 三成の描き方10 堺奉行4 正澄がルソン壺仲介

<<   作成日時 : 2016/04/29 22:06   >>

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 26日付の拙ブログ記事で、鳥津亮二氏の「小西行長」(八木書店) で取り上げられている、天正16年12月20日付の石田正継定書を紹介しましたが、正継は、政務で忙しい息子の三成に代わって、堺奉行を務めていました。
 目下、大河ドラマ「真田丸」で描かれているのは天正14年の時点ですが、翌天正15年には九州攻めがあり、三成は兵站奉行として従軍し、九州でもいろいろ活躍していますから、その間、正継が堺奉行を代理で務めました。
 三成の兄の正澄も、三成、大谷吉継などの後、堺奉行を務めますが、ルソン助左衛門の壺を秀吉に献上するのに仲介役を務めたことが、「堺市史」に記載されています。この記述は以前に拙ブログ記事で紹介したことがあります。
 すなわち、「堺戎町の商人納屋助左衛門は文禄2年、小琉球、呂宋(ルソン)に赴いて、珍奇の物資を仕入れ、文禄3年7月帰朝し、堺代官石田重成を介して齎し帰った唐傘、麝香、真壺等を秀吉に献上した。其壺は呂宋壺と称せられて、茶器として珍重されたから、秀吉の口添に依って諸大名に高価に売渡され、彼れは巨利を博したのである。(当代記、太閤記)世に彼れを呼んで呂宋助左衛門といふ」と。
 「石田重成」とは、正澄のことです。
 大河ドラマ「真田丸」で、堺の商人が集めた贅沢な品々を千利休が秀吉に見せ、秀吉がシャムの絹やルソンの麻を気に入って利休から買い求め、それを三成が険しい表情で眺める場面がありました。堺を抑えつけるのに利休は邪魔だという捉え方をしているわけですが、堺を抑えつけることだけが堺奉行の役目でなかったことは、正澄がルソン助左衛門の仲介役を務めたことでもわかります。
 それに「堺市史」には、堺の商人が朱印貿易に加わっていたことも記されています。
 「秀吉は夙に海外貿易に着目し、朱印を下して海外渡航を奨励した。これが所謂(いわゆる)朱印船の嚆矢である。文禄の初め、長崎、京都、堺の貿易商で此特許を得た貿易船は9艘に及んだが、其中堺からは伊勢屋(長崎志に拠る、長崎夜話草には伊勢屋に作る)の1艘であった」と。
 秀吉は堺の商人を傘下に置きつつ、彼らの海外貿易に期待していたことがわかります
 もっとも、「真田丸」で描かれていたように、秀吉政権は実際、堺の商人を大坂に移住させることを行いましたし、その役目も堺奉行が担っていたのでしょう。しかし、三成が利休を邪魔な存在として見なしていたこと、利休と三成は対立していたとする描き方は問題だと感じます。

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