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zoom RSS 石田三成の実像1623 大河ドラマ探訪368「真田丸」32 三成の描き方15 堺の大坂への強制移住?

<<   作成日時 : 2016/05/17 11:24   >>

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 大河ドラマ「真田丸」で、松本幸四郎さんが「黄金の日日」」以来、38年ぶりに呂宋助左衛門を演じることになりました。松本さんの好演に期待が高まりますし、懐古の念にとらわれるかもしれません。しかし、一番の関心事は、なんといっても、三成との関係です。「黄金の日日」では、拙ブログ記事でもたびたび触れているように、友達同士として描かれ、堺奉行の三成も、助左衛門と協力して(時には対立もしながら)堺の発展に尽くす人物として描かれていました。その関係が「真田丸」でも踏襲されるのかどうか、大いに気になるところです。
 「真田丸」では、堺奉行となった三成が堺の商人を大坂に強制移住させようとして、その邪魔な者となるのが千利休という捉え方をしていました。しかし、堺の商人を強制移住させたという事実はあるのでしょうか。大坂の町を作るために平野郷の住民を大坂に強制移住させたということは、黒田慶一氏・笠谷和比古氏の「豊臣大坂城」(新潮選書)に記されていますが、堺の商人もそうしたとは記してありません。それどころか、秀吉は堺を優遇したこと、堺を朱印船貿易の拠点の一つとしてとらえていたことなどが明らかにされています。秀吉が三成を堺奉行にしたのも、堺を重要視していたからであり、堺を衰退させるためではありませんでした。「真田丸」では、利休を追い落としたのは三成という捉え方をしているために、堺の強制移動という設定にしたのではないでしょうか。もっとも、堺の商人を部分的にも強制移動させたという事実が全くなかったかどうかについては、今後のさらなる検証が必要ですが。
 三成と利休の関係が悪くなかったこと、三成が堺の商人との関係が親密だったことを明らかにした白川亨氏の見解については、4月27日付の拙ブログ記事で触れました。
 さて、「真田丸」第19回「恋路」で、一番おかしな点は、九州攻めがすっ飛ばされていたことでした。加藤清正が兵糧の調達などの任務で九州に行かされる場面はありましたが、史実としてはこの時点(昌幸が駿府城で家康に会っていましたから、ドラマで扱われている時期は天正15年3月以降であるはずです)で、清正だけでなく、秀吉も三成も九州に赴いていました。九州攻めの兵站を実際に担ったのは三成や大谷吉継たちでした。大軍勢による九州攻めをドラマとして描かないことに関して、物足りなさを覚えました。秀吉が九州攻めに大坂に出立したのは3月1日、大阪に戻ってきたのは7月14日です(藤井讓治氏「豊臣秀吉の居所と行動【天正10年6月以降】」)。三成も同時期に九州に赴き、堺に戻ってきたのは7月10日です(中野等氏「石田三成の居所と行動」)。
 「真田丸」ではそういうことは描かずに、信繁が茶々に翻弄されるものの、結局、茶々が秀吉の「側室」となるまでを中心にドラマが展開されていました。茶々は相変わらず「側室」という捉え方がされていますが、福田千鶴氏は茶々は「側室」ではなく、「妻」であったという見解を示し(「淀殿」【ミネルヴァ書房】) 、そういう見方は研究者の間で徐々に広がっているように思えます。
 

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