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zoom RSS 石田三成の実像1626 矢部健太郎氏の「豊臣秀次の切腹」5 「秀次高野住山」令 自決手段の剥奪

<<   作成日時 : 2016/05/20 10:58   >>

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 大河ドラマ「真田丸」で、秀次事件がどのように描かれるか、大いなる関心があります。少なくとも、三成が画策したという、江戸時代からの捉え方は踏襲してほしくありません。「真田丸」では秀次は凡庸な人物として設定されているようで、三成が秀次を手玉にとるような描き方をされないかと懸念しています。
 矢部健太郎氏の「豊臣秀次の切腹」では、秀吉は秀次が高野山で暮らすように命じたものの、秀次自身が身の潔白を証明するために切腹したという見解が示されていますが、7月12日付で秀吉が発したと思われる「秀次高野住山」令も一つの根拠に挙げられており、その内容について検討されています。
 まず第一条の最初に「召し仕うことのできる者は、侍十人[この内に坊主・台所人(料理人)を含む]、下人・小者・下男五人を加え、十五人とする」と記されていますが、「召し仕う」と「料理人」の「二つの論点が示すのは『ある程度長期間の高野住山に際して、食事を提供する者』を召し仕うことが許された、という事実にほかならない。この条文については、『法令』到着翌日の切腹など全く想定していない、と評価するのが最も合理的なのである」と矢部氏の同書で指摘されています。
 さらに第一条の条文の中に、「出家の身となり黒い袈裟を着ている以上は、身分の上下にかかわらず、刀・脇差を携帯してはならない」と記されていますが、この表現の重要性についても、矢部氏の同書で次のように指摘されています。
 「刀・脇差の没収とは、『自決手段の剥奪』を意味するといえるだろう。すなわち、秀吉は秀次に自害・切腹させないよう命じたのである」と。
 矢部氏の同書には、「大かうさまくんきのうち」に記されている、秀次や家臣たちが切腹した際に使用した刀剣銘が引用されています。そのうち、「五番 秀次 脇差・正宗」「六番 雀部淡路守 脇差・国次」と記されています。秀次の切腹の介錯をしたのが、雀部淡路守ですが、その介錯刀と伝わるものが、数年前、大阪城天守閣で開かれていた「豊臣一族〜その数奇な運命〜」で展示されていました。そのことは拙ブログ記事でもその折に記しましたが、「南都住金房兵衛尉政次」の銘が入っているもので、雀部家が所蔵しているものです。その刀で介錯したのかと思うと、感慨深いものがありました。
 「秀次高野住山」令と同日付で、石田三成・増田長盛連署血判起請文が出されており、その起請文についても拙ブログでも触れたことが何度かあります。矢部氏の同書では、「『御ひろい様』の名が繰り返し記されていることからもわかるように、秀頼への忠誠を誓うことがこの起請文の主眼である」と記されていますが、秀次切腹後の起請文とは性格が違っていることが指摘されています。

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