関ヶ原の残党、石田世一の文学館

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zoom RSS 石田三成の実像1630 大河ドラマ探訪371「真田丸」35 三成の描き方18 落首事件をめぐって1

<<   作成日時 : 2016/05/24 10:51   >>

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 大河ドラマ「真田丸」第20回「前兆」は、茶々の懐妊、それを揶揄する落首の事件、捨て(鶴松)の誕生までを中心として描かれていました。
 特に落首事件に関しては、大河ドラマ「江」でも描かれていましたが、「江」とは違うのは、「真田丸」の主人公だから当然のこととは云え、真田信繁が活躍する場面が与えられていたことでした。落首を書いた犯人探しを、刀狩で忙しい三成に代わって行っていましたが、むろん、信繁がそういうことをしたというのはドラマ的な脚色です。信繁が知恵を働かせて細かなところに目を付けて犯人を推理するところは、古畑任三郎を彷彿とさせましたが、これも視聴者へのサービス精神の表れでしょうか。さらに本願寺に逃げ込んだ門番が死に、彼を犯人に仕立てるというのも信繁のアイデアであり、三成も大谷吉継も、これ以上犠牲者を出さないために了承するという展開になっていました。
 しかし、秀吉の怒りはおさまらず、家族や一門まで処刑することを命じましたが、三成はそれに断固反対し、「度が過ぎます。乱心されているのは殿下の方」だとまで言い撤回を秀吉に迫るものの、秀吉は三成を切腹を命じようとしたところに、北政所が現われ、三成を救っていました。
 三成が秀吉の言いなりにならず、敢えて諫言するところは、三成の真の姿を現しているように感じました。むろん、落首事件で三成がそういうことを言ったという事実はありませんが、三成が秀吉の意のままに動いていたわけではなく諫言も厭わなかったという点に関しては、文禄の役の際にも、三成は吉継・増田長盛と共に奉行として渡海して悲惨な日本軍の状況を見、戦争を続けることの無謀さを率直に述べているところからもよくわかります。
 信繁は後で三成に「実際のところ、あの落首は誰のしわざだったのでしょうか」と尋ねたのに対して、三成は「決まっておるではないか。民のしわざだ。大勢の民が殿下に対して同じ思いを抱いた」と答えていました。ここには民の思いや民政を大事にしている三成の考えがよく出ているように思いました。今までは誤解を生みやすく、横柄な態度が目立つ三成の描き方でしたが、ここに至って少しましになってきているような感じがします。
 北政所が三成に救いの手を差し伸べ、三成はお礼の言葉を述べていましたが、二人の関係がこの先どう描かれるのかにも興味を持ちます。従来は北政所=清正・正則ら武断派=家康派、淀殿=三成ら吏僚派という構図で捉えられることが多く、小説やドラマでもとかくそのように描かれ、今なおその通説に基づいているものが少なくありませんが、北政所は三成寄りだったとする白川亨氏の見解などが示され、見方が大きく変わってきています。「真田丸」でも、そういう最近の研究成果を踏まえた描き方がされるように期待したいところです。
 今のところ、北政所と茶々の関係は悪くありませんが、変わらないのか変化してゆくのか、ここも目が離せません。
 

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