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zoom RSS 石田三成の実像1635 大河ドラマ探訪375「真田丸」39 三成の描き方21 北条攻めをめぐって

<<   作成日時 : 2016/05/30 21:55   >>

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 大河ドラマ「真田丸」第21回「戦端」は、北条攻めをするかどうかをめぐってドラマが展開していました。秀吉に北条攻めを勧めていたのは千利休であるのに対して、三成や大谷吉継はその戦いに反対しており、三成は大谷吉継や真田信繁を前に、「利休は殿下に取り入るために、殿下の喜ぶことしか耳に入れぬ」と批判していました。北条攻めをめぐって、利休と三成・吉継が対立するというのは、ドラマ的な設定であり、ここも利休切腹事件の伏線になっているという印象を持ちました。
 利休は秀吉に向かって「殿下は今、お捨て様もお生まれになり、大きな波に乗っておられます。この機を逃さず、一刻も早く日の本を治め、お子が安心して暮らせる世の中をお作りくだされませ」と言っていましたが、利休が北条攻めに積極的だったというのは、史実としては確認できませんし、逆に吉継や三成が北条攻めに消極的だったというのも、同様です。
 「真田丸」で描かれていたように、利休が「北条をつぶしなはれ」と言うでしょうか。九州攻めの際には、利休は島津氏に降伏勧告を行っていますし、北条氏と同様秀吉ににらまれた伊達政宗は利休に入門し、助力を乞うています(川口素生氏「千利休101の謎」【PHP文庫】)。また利休の高弟の山上宗二は、北条攻めの際、北条氏に仕えていましたが、北条氏滅亡直後、秀吉によって惨殺されます。宗二惨殺と、翌年の利休切腹とは関係があったと思われますが、それはともかく宗二のいる北条氏を滅ぼすように利休が進言したとは考えられません。宗二のことがこの後、「真田丸」で描かれるかどうかはわかりませんが。
 すべては利休と三成・吉継が対立関係があったようにするための描き方であるような気がします。
 「真田丸」では、堺奉行の三成にとって、利休は邪魔な存在という描かれ方をされている回がありましたが、実際は、利休は抵抗勢力ではなく、秀吉に反対する堺の茶人に上洛を促す書状を書いていますし、利休が土地の件で三成に世話になったことを感謝する三成宛の書状も書いています(川口氏「千利休101の謎」)。
 「真田丸」では、北条攻めについての考えを秀吉に訊かれた三成が、「今は力を養う時と心得ます。残るところは関東と奥羽のみ。ここは慌てずじっくりと腰を据えられてもよろしいかと」と答えていました。また三成は吉継と信繁に向かっても、「今は北条と戦うべき時ではない。戦えば未曽有の大戦になる。大いくさになればせっかくの惣無事がだいなしになる。その先には何がある。大名が互いに食らい合う乱世に逆戻りするだけだ」と言っていました。
 三成が北条攻めについて消極的だったかどうかは措くとして、これらの言葉には、戦いのない泰平な世を築くために「惣無事」令を天下に広めてゆく三成の政治姿勢がよくうかがえます。  
 
 

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