関ヶ原の残党、石田世一の文学館

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zoom RSS 石田三成の実像1649  林昭男氏の講演会「石田三成と佐和山城」1・安土城考古博物館の特別展示1

<<   作成日時 : 2016/06/13 10:12   >>

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6月11日に、滋賀県立安土城考古博物館で行われた、林昭男氏による講演会「石田三成と佐和山城」を聴きに行きました。昼前に安土駅に着き、駅前で昼食を取ってから、駅の南に出て、東に向かって歩くルートを取りましたが、30分ほどでした。
 受付の1時まで30分余りの時間があったので、まず博物館を見学しました。「秀吉の五奉行と関ケ原合戦」という特別展示がされており、三成に関係したものでは、慶長3年1月11日付の草津の観音寺などに宛てた石田三成等連署書状、年不詳6月14日付の石田三成・増田長盛水論裁判状、朝鮮出兵に当たって各武将に割り当てられた人数を記した「御人数揃備之次第」、関ケ原合戦図、佐和山城遺跡出土遺物などが展示されていました。
 もう少しゆっくり見ようと思っていたのですが、講演会に出席する人の列が会場の二階から階段を下りて一階まで続いているのが見えたので、見学はそこそこにして、慌てて列に並びました。最初に着いたときは、数名が待っている程度だったのですが、いつの間にか人数が大幅に増えていました。受付にたどり着くまで、何分かかかりましたが、その後も参加者の人々の列は絶えず、会場が満席(定員140名)になり、補助椅子も出して対応したものの、入り切れなかった人もいたかもしれません。それだけ、石田三成の人気の高さがうかがえました。
 もっとも、講演会自体は、佐和山城の考古学的な発掘調査の報告が主な内容だったので、三成のことには若干触れられた程度です。林氏の講演会は、以前にもお聴きしたことがあり、重なる部分も多かったのですが、最新の発掘調査にも触れられていました。一番興味深かったのは、文献に記されている本丸部分の破城の具体的な状況を発掘調査によって確認し、その破城が徹底的なものであり、完全に山に戻されているということでした。さらに新聞記事では、佐和山城の破城は井伊家が見せしめのためにしたことだというふうに掲載されましたが、それは林氏にとっては心外なことで、井伊家が最初に家康から拝領したのは佐和山城であり、佐和山を特別なものに思っていた井伊家は、佐和山城を破城にすることによって聖なる山に戻したと解釈されていました。林氏の見解から言えば、佐和山を入山禁止にしたのも、聖なる山を守りたかったからだという見方ができます。林はそこまでは言っておられませんでしたが。江戸時代の佐和山城入山禁止は、三成の痕跡を消したかったからだというのが一般的な見方ですが、佐和山を聖なる山に戻したという捉え方は、今後論議を呼ぶかもしれません。
 この講演会の詳しい内容は後述しますが、予定の1時間半を15分程超えていました。講演会後、博物館の回廊展示を見た後、道を北に採って、安土城跡のそばまで行きましたが、さすがに今回は安土城跡にまでは登りませんでした。厚地駅まで歩いて戻り、電車で彦根へ行き、駅前で三成勝丼を食べ、ホテルで一泊しました。翌日は彦根及び長浜での「MEET三成展」を見、長浜で開かれた太田浩司氏の「真田丸」に関する講座を聴きました。
 
 

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