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zoom RSS 三成の実像1655大河ドラマ探訪381「真田丸」45 太田氏「『真田丸』を3倍楽しむ講座」7惣無事 

<<   作成日時 : 2016/06/20 10:46   >>

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 12日に長浜で行われた太田浩司氏の「大河ドラマ『真田丸』を3倍楽しむ講座」で触れられていた話題の一つに、「平野長康は、本当に馬廻り衆の筆頭なのか?」という問題も出されていたことを一昨日付の拙ブログ記事で取り上げました。
 16日付の朝日新聞のコラム「三谷幸喜のありふれた生活」の「最新の歴史研究が支えに」の中で、「『賤ヶ岳の七本槍』を六人までは言えるが、平野長康が思い出せない」と記されています。そういう人物を信繁の上司に持ってくるところに、三谷氏の目の付け所の面白さを感じます。
 そのコラムには、信繁が馬廻りをしていることは「専門家から歴史の捏造だと指摘されたが、これは決して僕の創作ではない。馬廻をしていた事実は、つい最近になって分かったこと。歴史は日々成長している」と記されています。
 この研究者が誰かわかりませんが、よく調べた上で、クレームをつけてほしいと、いささか腹立たしくなりました。信繁が馬廻り衆だったことは、前にも拙ブログ記事でも取り上げたように、丸島和洋氏の「真田氏四代と信繁」(平凡社新書)の中で記されています。
 「『惣無事令』とは何か?」という問いも講座では出されていましたが、その問いに対する答えは「豊臣政権による職権的な広域平和令」であり、「地域にあった『私之儀』=自力の終焉を指す」もので、「惣無事令によって秀吉が天下を統一した」と述べられました。惣無事令を最初に唱えた藤木久志氏の「豊臣平和令と戦国社会」(東京大学出版会)の一部も資料として取り上げられていましたが、この本を読んだ時は、こういう捉え方もあるのかと衝撃的だったと太田氏は明かしていました。
 資料として取り上げている藤木氏の同書の部分に、同じ天正18年12月3日付の3通の秀吉書状が掲載されていますが、その中に多賀谷重経宛のものがあり、文中に「石田治部少輔」の名が出ています。
 内容は「『惣無事之儀』の執達を徳川家康に命じたこと、違反する者を成敗する旨を、石田三成・富田知信への来信(先行する秀吉指令の存在を示唆)に対する返書の形をとって、関東・奥羽の諸大名に通告したものである」と。
 惣無事令については、その是非を含めての最新の研究成果を論じた竹井英文氏の「秀吉が命じた『惣無事』とは何だったのか」(日本史史料研究会編『秀吉研究の最前線』【洋泉社】)の内容については、以前拙ブログ記事で取り上げました。
 「真田丸」では、これも前に触れたように、三成は「惣無事」がだいなしになることを懸念して、北条とのいくさに反対するという立場を取っていました。その描き方が正しいのかどうかを措くとしても、三成が「惣無事」を推し進めたというのは確かです。
 

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