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zoom RSS 大河ドラマ探訪382「真田丸」46「真田丸を3倍楽しむ講座」8 鉄火起請 三成の実像1657 水裁判

<<   作成日時 : 2016/06/22 10:44   >>

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 12日に長浜で行われた太田浩司氏の「大河ドラマ『真田丸』を3倍楽しむ講座」で触れられていた話題の一つに、「越後で行なわれていた鉄火起請は、本当に当時の慣行か?」という問題が取り上げられ、「中世村落の紛争解決の手段として鉄の火起請」が行われていたことと説明されていました。
 「真田丸」では、第12回で信繁が景勝と共に、上杉領内を回っていた時に、漁師たちが浜の領有権を主張し、奉行の立会いのもと、鉄火(焼けた鉄の棒を運んだ方が勝ち)で決着をつけようとしていて、信繁がそれをやめさせようとして機転を働かし、それを受けて景勝が賢明な裁定を下すという描き方でした。
 講座では鉄火起請が行われていたことを示す資料として、藤木久志氏の「豊臣平和令と戦国社会」(東京大学出版会)の中の記述が取り上げられていました。すなわち、元和5年に会津で行なわれた山争いの際に、まず「領主側は絵図上に具体的に境界線を提示するかたちで調停を行ない、あくまでも和解をすすめた」が、「当事者の村側はこの調停案を拒否し、双方共に『是非鉄火之勝負ニ』と主張した」と。その結果、「奉行の立会いのもとで」、「鉄火を執行し」、勝った側の主張通り、「境界を定め」、「負けた代表は『非分』として処刑され」、「その首塚をもって境塚とした」と。
 太田氏の講座では、「真田丸」の描き方と違って、やけどの跡の少ない方が勝ちだと説明されていました。藤木氏の同書には、こういう「神裁こそが在地で完結する共同の紛争解決の終極にあった」と記されています。
 「真田丸」では、奉行が最初から鉄火で決着をつけようという描き方でしたが、これもおかしいと藤木氏の同書の記述をもとに指摘されていました。
 太田氏の講座では、鉄火起請と関連して、「湯起請」のことにも触れられていました。資料として、「国史大辞典」(吉川弘文館)の「湯起請」の説明が掲載されていました。その中に次のようなことが記されています。
 「中世の裁判において行われた鉄火起請・参籠起請・籤(くじ)取起請などど並ぶ神意による裁判方式の一種。(中略)古代の裁判において行われた盟神探湯(くがたち)に相当し、その方法も同様である。すなわち、熱湯の入った釜の中に石を置いて、これを訴訟当事者に探り取らしめ、その際の手の損傷(これを湯起請の失という)の有無によって当事者の主張の真偽を判定するものである」などと。
 この前日に滋賀県立安土城考古博物館での特別展示「秀吉の五奉行と関ケ原合戦」に、石田三成・増田長盛水論裁判状」が展示されていましたが、「河内国河内郡の五条村と豊浦村(ともに大阪府東大阪市)の井水の権利についての争いに、判決を下した文書です。両村の百姓らを召し出して話を聞いた上で、これまでどおり使用するよう命じています」と解説されています。ここには、鉄火起請の入り込む余地はない気がしますし、それだけ三成等は民のことに耳を傾け民政に力を入れていた証拠ではないでしょうか。

 

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