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zoom RSS 三成の実像1657 大河ドラマ探訪383「真田丸」47 「歴史街道」3 山本耕史さんのインタビュー2

<<   作成日時 : 2016/06/23 11:02   >>

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 「歴史街道 石田三成と大谷吉継」に掲載されている山本耕史さんのインタビュー記事の中で、「今回の三成は、今までの多くの三成像の中で最も熱い男である」という三谷幸喜氏のアドバイスの言葉が紹介されていました。
 「真田丸」で、三成の「熱い男」ぶりが今後どのように描かれるか見ものです。北条攻めにも反対していたぐらいですから、朝鮮への侵攻についても、主君の秀吉を批判する場面が出てくるのでしょうか。聚楽第落首事件の時のように。
 インタビュー記事でも、「ドラマの中でも、三成は内に秘める熱さゆえ、徐々に心がぶれ始め、自分でも想像していなかったことを殿下にいうことがあります」と述べていますが、落首事件の時の三成はまさにそうでした。
 三成は朝鮮に攻め込むことに対して嶋井宗室と共に反対したという記述が「博多記」にありますし、実際、三成等三奉行が渡海して戦争の状況をつぶさに見て、戦争を継続することの困難さを述べた書状を送っていますし、この後、和平交渉を進めています。
 もっとも、「真田丸」第23回「攻略」では、小田原に行った三成は、大谷吉継との話の中で、北条攻めは大陸侵攻の試金石だと言い、吉継もそれに同意していました。こういう言い方からすれば、三成は秀吉の意向を受けて唐入りをうべなっているという描き方がされていました。ドラマでは三成は北条攻め自体に反対でしたが、いくさのない平和な社会を目指すのが三成の立場だったはずですから、唐入りをして戦争を継続するよりは国内の平和を維持することに懸命でした。そういう意味では、ドラマでの三成の立場が矛盾しているように感じました。
 インタビュー記事では、秀吉の母を人質として家康のところへ送ることに関して、「加藤清正と福島正則が三成に色々という場面」で、「相手にされなかった彼らが去った後、三成は『馬鹿と話すと疲れる』と呟」きますが、家康役の内野聖陽さんが、「『めっちゃ耕史っぽいよね。あれ』って。もちろん、僕はそうした言葉を人前で口にしたことはありませんよ(笑)」と述べられています。
 山本さんがこういう言葉を口にしかねない人物としてイメージされているという話で面白いのですが、こういう描き方はいろいろな問題を含んでいます。秀吉の母を人質として送ることを三成が進言したというような描き方になっていますが、そういうことは史実として確認されていません。また清正や正則ら武断派との対立が、この時点ですでにあったということも、史実としては確認できません。もっとも、ドラマとしては後の対立の伏線として描かれているわけですが、三成の「嫌な」イメージが増幅されており、それが一般に広がりかねない懸念を覚えます。もっとも、第24回「滅亡」では、三成が真田昌幸に低姿勢で戦い方の教えを乞う場面が出てきており、変化が見られますが、この場面については改めて後述します。

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