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zoom RSS 石田三成の実像1660 坂口裕子氏「古橋村の伝承 石田三成」1 姉川の戦いを逃れて三珠院に入寺

<<   作成日時 : 2016/06/27 10:55   >>

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 昨日付の拙ブログ記事で取り上げた、2000年に長浜城歴史博物館で行われた特別展覧会「石田三成 第2章」に展示されていた、慶長9月16日付で近江国伊香郡の12ヶ村に出した家康禁制ですが、その図録の解説に次のようなことも記されています。
 「12ヶ村の中には三成が捕らえられた古橋も含まれ、本書自体も古橋の庄屋宅に伝来したことを考えれば、西軍敗退の直後から、三成が母親の出身地である同村へ逃亡することは、家康側として察知していたのかもしれない」などと。
 オンライン三成会編「三成伝説」(サンライズ出版)の「近江・古橋」の章には、三成を匿った与次郎のこと、隠れたとされる大蛇(オトチ)の岩窟、古橋に伝わる三成の捕縛の状況、三成の母の墓石が安置されている己高閣、古橋の「都市伝説」のコラムなどが取り上げられています。
 手元に能面師真弓能の坂口裕子氏の「古橋村の伝承 石田三成」という文章のコピーがあります。これは「三成伝説」の著者の人に読んでほしいということで、サンライズ出版に届けられ、当方にも送られてきたものです。
 坂口氏は今年1月に古橋を訪ね、古橋史蹟文化保存会の人々から古橋に伝わる三成の話を聴き、ゆかりの場所を訪ね、それをまとめたのが「古橋村の伝承」の文章です。内容は「三成伝説」と重なる部分が多いのですが、「三成伝説」に書かれていないこともいくつかあります。
 三成が秀吉に仕えたきっかけとされる三献茶の話の候補地として、三成の出身地に近い観音寺と法華寺三珠院とがあります。この点について、坂口氏の同書では、三成6才の時に観音寺に、9才の時に「姉川の戦いを避けて母の出身地古橋山中にある法華寺の塔頭三珠院に入寺した」と記され、秀吉が三成と出会ったのは、「小谷城主となった」時だとあります。もっとも、姉川の戦いは元亀元年(1570)のことですから、三成は数え年で11才のことです。
 観音寺の場合は、秀吉が長浜城主となった天正2年(1574)の時のことだと考えられており、それなら三成は15才になります。
 三成が姉川の戦いを避けて三珠院に入ったということや、秀吉が小谷城主の時に三成に出会ったとすることは、古橋に代々伝えられてきたことでしょうか。三献茶の話は江戸時代に書かれた「砕玉話」(『武将感状記』)に記されていることですが、それより古くから三献茶の話があったとするなら、この話の信憑性は高まりますが、書の方が先で伝承が後付けされたものなら、信憑性は低くなってきます。このあたり、実際はどうなのかなという思いを持ちましたが、それを確かめるのはなかなか難しいことです。
 
 

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