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zoom RSS 石田三成の実像1667 大河ドラマ探訪396「真田丸」60 黒田基樹氏講演6 信幸宛書状3

<<   作成日時 : 2016/07/16 11:48   >>

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 長浜で行われた黒田基樹氏の講演「真田家と石田三成」の中で、信幸宛の三成書状について詳しく述べられていましたが、取次を通じてなければ他の大名などに連絡が取れないことにも触れられていました。
 鷹を贈ってもらったお礼を述べた年月欠の6日付の書状の後半に次のように記されています(講演会のレジュメに載っている現代語訳による)
 「秀吉の病気のためずっと詰めているので、屋敷に帰ることもできない、と状況を伝え、本多忠勝も来訪してきたことについて、こうした事情なので、会って用件を聞くことができなかったことについて、了解して欲しい、面倒でしょうが、この書状を本多忠勝に遣わして欲しい」と。
 三成は信幸に本多忠勝への取次を頼んでいるわけです。この書状、年月比定ができれば、秀吉の病気ということも書かれており、また本多忠勝の用件が何であったのか、いろいろ新しいこともわかってくるのではないでしょうか。
 同じく本多忠勝の名前が記されている、これも年月欠の7日付の書状があり、講演会のレジュメには次のように口語訳されています。
 「信幸からの書状と本多忠勝からの返書にすぐにこちらから返事するので、それについて『かの方』からお尋ねがあったら、そのように答えておいて欲しい、明日は屋敷に帰るつもりなので、そうしたら用件を聞く」と。
 「かの方」とは家康のことだと、講演会で指摘されていました。この書状についても、用件が気になるところです。  三成の病気についても触れられている書状も二通ありますが、これも講演会のレジュメには次のように現代語訳されています。
 「度々御礼していただき、何度もお尋ねになられたが、病気のため聞けていない、病気もよくなかったので積もる話しを聞きたい」(27日付)
 「書状を拝見した、私の病気はもう良くなった、屋敷に滞在していて。少し疲れている、一両日には出仕するつもりである。信幸の帰国のことは心得た、みなは大坂に下向していて、今日中に帰ってくるだろうから、彼らに言ってその案件を処理し、こちらからお答えする」(28日付)。
 奉行として全国を飛び回り、朝鮮半島にも渡った三成でしたが、病気もしていたことがわかります。
 28日付の「彼ら」は奉行衆のことであると講演会で指摘されていましたが、大名の帰国に関しては、三成一人の判断では決定できず、奉行衆の承諾も必要なことがわかります。
 
 

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