関ヶ原の残党、石田世一の文学館

アクセスカウンタ

zoom RSS 石田三成の実像1668 大河ドラマ探訪397「真田丸」61 黒田基樹氏の講演7 信幸宛書状4

<<   作成日時 : 2016/07/17 11:13   >>

なるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 3 / トラックバック 0 / コメント 0

 長浜で行われた黒田基樹氏の講演「真田家と石田三成」の中で、信幸宛の三成書状について触れられていましたが、三成の信幸に対する心遣いがよく感じられる書状もあります。その例として、講演会では、6月9日付のものが挙げられていましたが、レジュメではその書状が次のように現代語訳されています。
 「最近は忙しくて連絡もできなかった、織田秀信(羽柴岐阜中納言)が病気療養のため上野沼田領内の草津(群馬県草津村)に湯治に行きたいということで、秀信から、沼田領の留守居衆に、その通行に便宜するようにとの書状一通を出して欲しいと依頼があったことを伝え、これは私(三成)と信幸の関係を知っての要請であるので、そのように取り計らって欲しいと依頼し、何度もこのようなお願いをして迷惑だろう」と。
 特に最後の書き方に、三成の心遣いが表れていると説明されていました。他の信幸宛の三成書状にも、三成の気配りはよくうかがえますし、それらの書状を読むと、実に細やかで、横柄さは微塵も感じられません。大河ドラマ「真田丸」で、三成が信幸につっけんどんな言い方をしたり、無視するような態度を取ったりしているのとは、まったく違う三成の姿が見えてきます。
 中井俊一郎氏の「石田三成からの手紙」(サンライズ出版)の中で、三成が鷹狩りマニアであったことを示す中納言宛の書状について、この中納言は織田秀信であったのではないかと推定されています。織田秀信は本能寺の変、山崎合戦の後の、清須会議で秀吉によって織田家の後継者とされた人物ですが、中井氏の同書で、信幸宛の書状に見られるように「三成は秀信の湯治の世話をしているぐらいだから、個人的な付き合いも深かったろう」とその根拠が示されています。
 三成と信幸の親しさがもっともよくわかるものとして、年月欠の24日付があり、レジュメでは次のように現代語訳されています。
 「書状を拝見した。御城(伏見城)の御番のため屋敷に帰れていないので、お会いできていないが、御番は近日にも明けるので、一晩つもる話しをしたい、もし急用があれば糊付け書状で言ってきて欲しい」と。
 「一晩つもる話しをしたい」というのは、よほど特別な仲だったことを示しています。「糊付け書状」とありますが、石田三成公事績顕彰会発行の「読本 石田三成」には、三成が大切な秘密を守るために手紙を糊付けにすることを考え出したと記されています。「糊付け書状」の最初が三成だったのかどうかについては、私自身は把握していませんが、はっきり「糊付け書状」と記しているのは、三成が最初だったのかもしれません。

テーマ

関連テーマ 一覧


月別リンク

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!
ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。
→ログインへ
気持玉数 : 3
なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー)
驚いた

トラックバック(0件)

タイトル (本文) ブログ名/日時

トラックバック用URL help


自分のブログにトラックバック記事作成(会員用) help

タイトル
本 文

コメント(0件)

内 容 ニックネーム/日時

コメントする help

ニックネーム
本 文
石田三成の実像1668 大河ドラマ探訪397「真田丸」61 黒田基樹氏の講演7 信幸宛書状4  関ヶ原の残党、石田世一の文学館/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる