関ヶ原の残党、石田世一の文学館

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zoom RSS 石田三成の実像1672 大河ドラマ探訪401「真田丸」65 秀次切腹2 その前後・娘を側室にした信繁

<<   作成日時 : 2016/07/21 18:26   >>

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 大河ドラマ「真田丸」では、秀次が勝手に自害したことに対して、秀吉が立腹して、切腹は謀反の罪で自分が命じたことにし、秀次の首を三条河原にさらし、妻子を処刑することを三成に命じていました。三成は異議を唱えそうな表情をしていましたが、秀吉は「おまえができないのなら、俺がじきじきにやるまでだ」と言い放っていました。
 矢部健太郎氏の「豊臣秀次の切腹」(角川書店)では、秀次の切腹という「想定外」の事態を受けて、秀次の罪状を後付けして、妻子の惨殺にまで及んだということが記されていますが、「真田丸」でもその線に従った描き方がされているわけです。
 「真田丸」では、信繁が秀次の娘の「たか」の命を救い、側室にしたことが描かれており、「真田丸紀行」でも、二人の間に生まれた「お田の方」のゆかりの地が紹介されていましたが、信繁が秀次の娘を救ったこと、二人の間に出来た娘が後に佐竹義宣の弟の多賀谷宣家に嫁いだことは、オンライン三成会編「三成伝説」の「紀伊・高野山」の章の中で記しました。この助命には三成の尽力もあったということにも触れました。
 「真田丸」では、秀次の娘の「たか」を日本に残しておくのは危険だというので信繁はルソン助左衛門に頼んで、ルソンに船で送るという展開にしていました。松本幸四郎さん演じるルソン助左衛門の登場は「黄金の日日」以来ですが、三谷幸喜氏の「黄金の日日」へのリスペクトが感じられる配役だと思いました。「黄金の日日」では、近藤正臣さんが三成を好演し、堺奉行として助左衛門と共に町の発展に尽くすという描き方であり、好感が持てる三成像になっていました。むろん、「たか」がルソンに渡ったというのは創作ですが。
 矢部氏の同書によると、秀次が聚楽第を出奔したのが7月8日、夕刻に伏見を発し、木津川沿いの玉水に泊まっています。9日には奈良に逗留していますが、その時に秀次が記した書状が残っており、この書状については、「三成伝説」の「紀伊・高野山」の章で取り上げました。
 矢部氏の同書には、「言経卿記」7月8日条に「関白殿ト 太閤殿ト去3日ヨリ御不和也」という記述があること、太田牛一氏の「大かうさまくんきのうち」には、「7月3日に石田三成・前田玄以ら秀吉側近の『奉行衆』が聚楽第を訪れ、秀次に謀反の疑いありとして彼を詰問した」という記述があることも記されていますが、後者の史料は「後世作成された二次史料」だということも述べられています。
 特に後者の史料に記されている「秀吉の謀反」や「秀吉の暴虐な一面を描いている」ことを、「史実と即断することはできない」と指摘されています。
 「真田丸」でも、秀次はお坊っちやんらしく人がよく、いつも秀吉の顔色をうかがっている繊細な人物として造型されていました。 
 
 

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