関ヶ原の残党、石田世一の文学館

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zoom RSS 石田三成の実像1675 大河ドラマ探訪404「真田丸」70 「『秀吉チルドレン』それぞれの正義」2

<<   作成日時 : 2016/07/24 10:58   >>

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 「真田丸第二幕まるわかり 『秀吉チルドレン』それぞれの正義」で、三成演じる山本耕史さんは、三献茶の逸話が残る観音寺を訪ねて、住職さんからその逸話をうかがっていました。欲しいものを言われなくてもきちんと出せる三成の気配りに秀吉が感得したこと、初めて会う人、しかも城主という偉い秀吉に対して臆せず堂々とそういう茶の振る舞いができたことなどを住職さんは話し、その話に山本さんは感心していました。
 むろん、三献茶の話は江戸時代に書かれた書物に出てくることなので、真偽の程はわかりませんし、舞台も観音寺と法華寺三珠院の二説があります。また三成が秀吉に仕えたのは15才、1八才のこれも二説がありますが、この番組では15才説が採られており、秀吉が長浜城主になってまもなくのことだとされていました。18才説だと、秀吉が中国攻めをしている折、姫路で仕えたことになります。
 その番組では、共に10代で秀吉に仕えた三成と清正が、それぞれの能力を発揮し、歴史の表舞台に出た戦いとして、賤ヶ岳の戦いが挙げられ、長浜城歴史博物館館長の太田浩司氏は、山本さんに賤ヶ岳合戦図屏風を見せていました。
 この戦いで、清正は一番槍の活躍をしたが、三成は諜報活動をしていたのでこの図屏風には描かれていないと太田氏は説明していました。この諜報活動について、番組では、三成は真宗僧の人脈を使い敵の情報を収集したと説明していましたし、沿道の民に松明を持たせ大軍に見せかけたという逸話が残っているとも述べられていました。
 三成が諜報活動をしていたことは、称名寺宛の三成書状でわかりますし、この書状については、中井俊一郎氏の「石田三成からの手紙」(サンライズ出版)の中で取り上げられ、詳しく論じられています。
 松明の件ですが、秀吉軍が大垣から木ノ本まで4時間で移動した時に、移動をスムーズにさせるために、握り飯と共に先発隊が用意したものであり、大軍に見せかけたわけではありません。小和田哲男氏の「石田三成」(PHP新書)の中で、「志士清談」に加藤清正が街道沿いの村々に握り飯と松明の用意を命じたと記されているものの、清正は秀吉本隊と共に移動しているのでそれはありえず、湖北の土地勘のある三成以外には考えられないと、指摘されています。しかし、太田浩司氏の講演会では、文献上、三成がしたことだとは記されていない以上、小和田氏のそういう見解には否定的な見解を示されています。しかし、小和田氏の見解は一般的には認められており、三成がそういう松明などを用意するという活躍をしたということは、三成本によく記されていますし、私もその見解に賛成です。
 大軍に見せかけるというのは、三成が賤ヶ岳の近くまで来た時、田に立ててあった「はさぐい」に農民の笠や蓑をくくらせてそうしたということが、石田三成公事蹟顕彰会発行の「読本 石田三成」に記されています。番組では、話が混同して紹介されているのではないかと思いました。

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