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zoom RSS 石田三成の実像1677 大河ドラマ探訪406「真田丸」72 秀吉の老い・伏見大地震をめぐって

<<   作成日時 : 2016/07/26 12:21   >>

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 大河ドラマ「真田丸」第29回「異変」では、秀吉の老いの兆候がいろいろ表れるところを中心にドラマが展開していました。秀吉が寝小便をして、それを隠すべく、三成と信繁が密かに処理する場面がありましたし、秀吉が三成たち奉行衆に今後のことを任せると言いながら、今度は家康を呼んで今後のことは諸大名の合議に任せると言い、しかもそれが2回繰り返されていました。三成はそのことを取り繕うべく、家康に「大事なことだから念を押されたのです」と言い訳していましたが、三成はその後で秀吉の前ではっきりとおかしな言動の内容を告げていました。秀吉は自分の言ったことを覚えていなかったという描き方でしたが、こういう秀吉の病状があったというのは、ドラマ的なフィクションでしょう。
 しかし、秀吉が秀次事件の後、長らく病床にあったのは事実であり、秀次事件による心痛ということは十分に考えられます。奉行にも大名にも今後のことを頼んだというのは、秀吉晩年にできた五大老・五奉行制の伏線であったのかもしれません。
 伏見大地震のことも描かれていましたが、崩れた城の中にいる秀吉を助けに来たのは三成という描き方になっていました。もっとも、その直前の時期は、三成は堺で明・朝鮮の使節の接待に当たっており、地震が起こった時に伏見に戻っていたのかは微妙です。
しかし、地震の際、清正が登城し、秀吉に褒められ、謹慎を解かれたという話は出てこなかったので、それはよかったと思いました。清正が蟄居していたというのもフィクションなら、清正が地震の際、多数の家臣を連れて登城したのも考えられないことだからです。この「地震加藤」の話は、清正が三成の讒言によって謹慎させられていたということがセットになっていて、ドラマや小説でこういう描き方がされているのは残念なことです。
 14日にBSで放送された「片岡愛之助の解明!歴史捜査 豊臣に命を捧げた戦国武将 石田三成の実像を追え」でも、三成が明・朝鮮との講和をはかろうとして、武断派を抑え込むために秀吉に清正のことを報告し、清正を帰国させて謹慎させたという説明がされていました。その目的は、無謀な戦いを早く終わらせて仲間の命を守ることだったと捉えており、その見方自体は正しく、このまま戦いを続ければ、日本人は誰もいなくなったしまうだろうという、三成ら三奉行の連署状も取り上げられていました。しかし、三成が清正のことを秀吉に報告し、そのために清正が蟄居したというのは、従来通りの捉え方であり、清正が蟄居したという事実はないという最新の研究成果が取り入れられていません。もっとも、この番組については、三成の名誉回復がいろいろな点ではかられていますので、改めて取り上げます。
  

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