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zoom RSS 大河ドラマ探訪408「真田丸」74 「知恵泉 世界一の夫となるには?戦国武将・宇喜多秀家と豪姫」1

<<   作成日時 : 2016/07/30 11:40   >>

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 大河ドラマ「真田丸」で、宇喜多秀家が最初に登場していたのは、秀吉の子の鶴松が危篤の際のことで、三成が豊臣一族を集めて、今後のことをよろしく頼むと言っていた時でした。拙ブログ記事で記したように、三成がこういうことを言ったかどうかは史料的に確認されていず、ドラマ的な描き方だと思われますが、この天正19年の時点で、秀家は豊臣一族と認識されていたという捉え方がされていたことになり、これは正しい見方だと思われます。
 秀家が秀吉の姻戚になったのは、秀吉の養女である豪姫と婚姻を結んだからですが、秀家と豪姫の婚姻については、大西泰正氏の「『大老』宇喜多秀家とその家臣団」(岩田書院)の中で、天正16年正月以前と指摘されています。残念ながら「真田丸」には豪姫は出ていませんが、これから先も登場しないのでしょうか。
  NHKで放送された番組「知恵泉 世界一の夫となるには?戦国武将・宇喜多秀家と豪姫を」で、二人の夫婦の仲のよさが取り上げられていました。
 秀吉が、自分の養女となった豪姫(前田利家とまつの娘)をいかにかわいがっていたことを示すものとして、豪姫宛の秀吉書状が挙げられ、そこに秀吉は「おとと」と署名していることも示されていました。
 一方、宇喜多秀家は秀吉に尽くすべく、120パーセントのやる気を出したと番組では説明し、その例がいろいろと挙げられていました。
 雑賀衆との戦いでは秀吉軍の総勢10万人のうち2万人を動員して奮戦したこと(「ルイス・フロイス」の記述も取り上げられていました)、秀吉の鷹狩り好きに関しては、秀家は何十羽という鷹を舟で大坂に運び秀吉に献上したこと、秀吉の茶の湯好きに関しては、茶室の材料としてを作るべく備前産の竹を百本も送ったこと、四国攻めの際は1万5千人の兵を舟で運び、九州攻めではいち早く大分に上陸して前線基地を作り上げ勝利を決定づける働きをしたこと、しかし、家臣の中にはこういう出費は領国経営の負担になると不満を述べる者がいたこと(「備前軍記」の記述)、秀家は資金を増やすべく瀬戸内海を新たに埋め立てて田んぼを作ったことなど。
 このことに関して、岡山県立博物館学芸員の内海英樹さんは、秀家には秀吉に従って、貢献し続けてゆくことで宇喜多家を存続させてゆくという狙いがあり、秀吉の言うことには「喜んで」という前向きの姿勢で臨んだと解説されていました。
 こういう秀家の尽力が実を結び、秀家が愛娘の豪姫の結婚相手にふさわしい三国一の夫と秀吉から認められたと番組では説明されていました。
 

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